遠い記憶
3.鳥の章
その2
次の日、私達は早朝からホータンウイリクへと向かっていった。
街に近付き人家や畑が増えるにつれ、道が整備されてゆく。これが街道なのだと気付いた頃には、行き交う商隊や旅人の列に紛れていた。ハダクの丘の時と違うと思ったのは、人々の格好が多様なこと。色々な民族が行き交っている。
緩やかな勾配を上り、牛車から眼下に広がる景色を眺める。手前に高い城壁を設け、後ろにオボ山を中心とした山々が控え、その間にホータンウイリクの街はあった。
「大きい街だね」
この一月間、草原を旅していたせいか、建築物が延々と続く姿に圧倒される。
「でも規模は、キョエンの方があるから」
同じく荷台から故郷を見つめ、美幸はいつもの口調でそう言った。
「その昔、ここは西と東の交易地点として、そしてホータン王国の首都として、栄えていたの。西大陸から東大陸に渡ると、先ずオボの連峰が立ち塞がって、それ以上奥に進めない。そのため、山越えを商売とする人たちが現れたのが始まりね。西大陸の商人は港で彼らを雇い、ホータンウイリクまで辿り着くと、ここを足がかりとして交易を始めた。
その後、色々な交易ルートが確立され、東大陸内部のキョエンが台頭してきた。一方、ホータンウイリクは遷都の問題があったりして、この街の発展自体は打ち止め。けれど未だに、聖なるオボ山は玉の産地として有名だし、ホータンウイリクも古都として名高いの」
よどみなく話す美幸を、思わずじっと見てしまう。美幸はそんな私の視線に気が付いたようで、訝しげにこちらを見つめ返した。
「何?」
「いや、美幸が自発的にこんな詳しい解説したところを見るのは、初めてだなと思って」
「さすがにヒコばかりに、解説させるわけには行かないでしょ」
「そっか。地元だしね」
何の気無しに言ったのだけれど、言ってすぐに、自分の言葉の暢気さ加減に笑いそうになってしまった。慌てて横目で美幸を見ると、彼女の口元も何かを堪えるように歪んでいる。そしてそれに気付いた途端、二人同時にふき出した。人って、何が笑いのツボに入るか分からない。
しばらく無邪気に笑い合って、そのままの勢いで聞いてみた。
「エシゲ家は、どんな家なの? 一族がそのまま「玉の造り手」になっているってヒコに聞いたけれど。ホータンウイリクでは、他に術士はいないってこと?」
「術士は、いる。ただ、玉を扱えるのは歴代のポンボ職しかいないってだけ」
「あれ、でも、ポンボ職って、「玉の造り手」って意味なんじゃないの?」
なんだかだんだんと混乱してきた。美幸はうーんと軽く唸ると、街を見つめたまま解説を続けてくれる。
「ポンボって、本来は女官という意味なの。西大陸と古くから親交があったせいか、九百年ほど昔、ここは東にしては珍しく、ホータン国の王様が気を鎮めていたのよ。ところがある日、女官が犯した些細な失敗に腹を立てた王様が彼女を殺しちゃってね、その返り血が祀っていた玉についてしまった。穢れに触れた玉はそのまま崩壊。一気に気は乱れ、ホータン王は慌てて新たな玉を造ったのだけれど、これがことごとく失敗して。女官の娘が術士だったので玉を造らせ、ようやく騒ぎが収まったというわけ。
以来、ホータン王はこの土地にいられなくなり、遷都。ホータンウイリクは女官の娘達が玉を造り守る、斎場の街となった。ここには女官の一族エシゲ家以外の術士もいるけれど、玉を祀ることが出来るのはそういう事情で、ただ一人、直系の娘だけなの。そしてそんなエシゲ家を継ぐのは、長女のみ」
さらりと語ってくれたけれど、美幸の前世が物凄い人なのが、あらためて良く分かった。一月前の、アクタ見たさで押し寄せるケレイトの人たちの波を思い出す。
「よくそんな大切な役目の人を、キョエンに呼ぶことが出来たよね」
「その時はもう、私から妹にポンボ職が移っていたから。歴代の長女、つまりは宗主には、玉の力のせいか、女子しか生まれないのよ。宗主の娘達は全員、十二歳になると必ずポンボ職に付く。任期は自分の妹か、もしくは長姉の産む娘が十二歳になるまで。私の後に妹が継いだけれど、今の代は次の次、姉の産んだ二女がポンボ職をしているって聞いたわ」
ここでまた混乱してすがるような目付きで見つめると、美幸は苦笑しながら紙に書いて説明をしてくれた。
「私、三人姉妹の真ん中だったの」
美幸の前世、エシゲ・ポンボ・ナムニを挟んで、姉がショカン、妹がホルカ。ナムニの後に妹ホルカが来て、ホルカの次が姉ショカンの長女シャータ、そして今は二女のイーシィがポンボ職をやっているらしい。
「じゃあ、次は三女がポンボ職をやることに決まっているんだ」
「ショカン姉様は、イーシィを産んでしばらくしてから亡くなられたらしいから。二年前に長女のシャータに娘が生まれたので、その子が十二歳になるまでは、当分イーシィがポンボ職ね」
「生まれたタイミングで、任期も決まるんだね」
「そうね。ショカン姉様は任期二年だったけれど、私は七年くらいポンボ職をやっていたかな。妹のホルカが、年齢離れていたから。イーシィは今までの年数プラス、これから十年はやらなくちゃね」
書かれた紙をもう一度じっくりと読んで、それから景色に視線を移す。すでに牛車はかなり街に近付いており、背の高い城壁が目前にそびえていた。この壁の向こう、美幸の前世を知る人たちが暮らしているんだ。
「エシゲ家から迎えの人とかは、来たりしないの?」
ジハンやホンジ、そしてシャラブと会った時の事を思い浮かべながら聞いてみた。あの温かい迎え入れがあったからこそ、私はこの世界でやっていく事を決意できたんだ。
そして、私達がホータンウイリクへ向かって旅をしているという事実は、すでに風に乗って広く知れ渡っている。この世界の歪みを正すため、前世からの玉を探す術士一行。旅の途中、食料品の調達など、このネームバリューのお陰で人からずいぶんと親切にしてもらった。
行きすがりの人達でさえ、そうなんだ。昔は首都だった街を、そしてこの地域全体の気を束ねている名家なら、何かしら反応がありそうな気もするのだけれど違うのかな。
「迎え? 有り得ないから」
けれど私の考えをあっさりと否定し、美幸が首を横に振る。その表情は硬く変化し、昨日の不機嫌な様子を連想させた。
「でも私達がここに向かっていることは、分かっているんでしょ?」
「術士の能力を持つ旅人五人が、十八年前に行方不明となったキョエンの玉候補を探しに、ここホータンウイリクまで来ている。彼らが把握しているのはそこまで。そのメンバーに三代前のポンボの生まれ変わりがいるというのは、あくまで噂に過ぎないから。そんな確実性の無い情報を真に受けて、このエシゲ家は振り回されたりしない」
「そういう、もんなの?」
きっぱりと言われれば言われる程、なぜか反論したい気持が沸き起こってきた。それは多分、美幸の態度があまりにも毅然としすぎているから。何で最初から、迎えが来ないと決め付けているんだろう。
「そういえば美幸、家族に会えるのはチャガンをキョエンに祀ってからって、昨日言っていたよね」
「私が現時点でナムニの生まれ変わりだって言ったって、確証は無いんだし胡散臭いだけだもの。それなら、前世にやり残したことをきちんと正せば、人は信用してくれるでしょ」
「そんな」
何でそんな遠回りなこと考えるんだろう。直接会って確かめてもらうっていう選択肢が出てこないのは、何でなの?
分からない事だらけだったけれど、美幸がこのことについて方針を変える気が無いことだけは、はっきりと分かった。これ以上質問するなって、その表情で語っている。仕方ない。消化不良だったけれど、さすがにこれ以上の突っ込みは出来ずに、黙り込む。ちょうどタイミングの良いことに、牛車はホータンウイリクの楼門をくぐるところだった。
鎧を着て槍を手にする衛兵達が立ちはだかり、この街に入る人々を監視する。私達一行もそんな衛兵に指示をされ停止させられると、簡単な尋問を受けた。代表者として、ジハンがそれに対応する。ここまで大きな街は初めてだけれど、一ヶ月も旅をしていれば同じようなやり取りは幾度かした。気軽な気持でやり取りを眺めていたのだけれど、いつまでも話が終わらない。何を言われているのか聞き耳を立てようとしたところで、くるりとジハンが振り返った。
「私達をホータンウイリク宮に招くようにと、言い付かったそうです」
その言葉に、反射的に美幸を見つめる。やっぱり、迎えはあったんだ。けれど美幸の顔は嬉しそうどころか眉をひそめ、思い切り不審そうな表情になっていた。
「誰の招待なの?」
術を使ったのか、その問いはジハンを通さずとも聞えたようで、衛兵が肩をすくめて何かを呟く。これは訳さなくても分かるな。「そんなの、知るか」だ。
「美幸、どうするの」
衛兵の投げやりな態度と、美幸の硬い表情。招待と聞いた瞬間に浮き立った気分はどんどんとしぼみ、なんだか不安になってきた。
「行くしか、ないでしょ。この状況じゃ、断ることも出来ないわよ」
低く平坦なその口調に、さらに私の不安感は増してきた。
衛兵に誘導され、街の壁沿いをしばらく進む。兵舎らしき建物を縫うように通り抜け、急な坂道を登るうち、山を彫って造った様な大きな宮殿が近付いてきた。簡素な門の手前でいったん止まると、牛車から降りさせられる。
「ものの見事に、裏道だったな」
同じく馬から降り、一緒になったヒコが小さく言った。
「やっぱり、そうだったんだ」
街道からあれほど賑やかな街並みが見えていたのに、今通ってきた道にそれらしい通りは一つも無かった。まるで私達がここに来た事を隠すみたいだ。嫌な感じはどんどん強くなってくるのに、それがどうしてだか意図が読めない。肝心の美幸はむっと押し黙ったまま、口を開こうとはしなかった。
そして宮殿の中。
ここに至るまでの道と同様に、敷地から建物に入るまで、そして建物の中でも、人気の無い通路を歩かされる。でも、素っ気ない通路ではあったけれど、建物もその敷地自体も、やたらに広い上に重厚な雰囲気が漂っていた。現在は斎場として使われているけれど、元々は九百年前、王様から譲り受けた宮殿。もちろん、当時より変わった部分はあるだろうけれど、基本は変わらないのだろう。さすがはお城と呼ぶにふさわしい堅牢な造りになっている。
何度目の階段と扉をくぐったのか、分からない。ふいに絨毯敷きの廊下に辿り着くと、前方に衛兵が両脇を固めている大きな扉が現れた。
「謁見の間、ね。とりあえず、人知れず闇に葬られる可能性が無くなって、良かったわ」
ふっと息を吐いて、美幸が小さく言った。
「どういう意味?」
闇に葬られるって、全然穏やかじゃないんですけど!
叫びたい気持ちを抑えて、囁き返す。この斎場に入ってからずっとこんな感じだ。ちょっとでも大きい声や音を出そうとすると、必ず案内役の女性が威圧感ある目付きでこちらをちらりと睨み付ける。
「あの部屋は、ポンボ職に就いた者が面会する時にだけ、使われるの。つまりこれから私達が会うのは、現ポンボ、もしくは前ポンボだった誰かというわけ」
「それと殺されるって、どう関係あるの」
「三代前のポンボを自称する旅人一行ってだけで、目障りに思う人達もいるってことよ。私達が何かしでかさないか、言い出さないか見張るより、この街に入った途端に消しちゃった方が簡単じゃない? でもポンボなら、血なまぐさい選択肢はありえない。とりあえず、命の保証は出来たわね」
「そりゃあ、良かった」
さらりと美幸が言ってのけ、ヒコが唸るように一言添えた。
「どっちが良いかなんて分からないわよ」
さらに重ねて、美幸が呟く。
あの、ここって、美幸の実家だよね、実家だよね。なんか全然、心休まってないんだけど、どうなのよ。
油断をしていると叫びだしそうになるけれど、案内役がこちらを見て何事かを小声で叱り付けているので、止めにした。そして衛兵の開けた扉の先、謁見の間へと私達は入ってゆく。
複雑な模様の絨毯が敷かれた床に、一段高いところに備え付けられた華奢で手の込んだ二脚の椅子。壁面には陶器の壷だの彫像だのが飾られて、ご丁寧にお香が焚かれている。広さで言えばテニスコートほどの謁見の間で、私達はしばらくすることも無く、ただぼんやりとその内装品を眺めていた。さすが代々女性が仕切っているだけあって、全体的な趣味が柔らかで繊細な感じだ。
けれど所詮庶民の自分に、美術品の真の価値が分かる訳でも無い。いい加減、この状況に嫌気がさしてきていた。大体、自分から呼び出しておいて、正体も明かさないわ、人待たせるわ、どうなっているのこの一族。
いっそ案内役に見せつけようかと、大きなあくびをし掛けたところで、衛兵二人が入ってきた。中途半端に開いた口を慌てて閉じると、彼らは交互に何かを話し出す。もちろん何を言っているのか分かるわけも無いけれど、その言葉の中、ポンボ・シャータとポンボ・イーシィの名前だけは聞き取れた。ってことは、現職と前職、二人のポンボ職の姉妹が会うってことなんだろうか。私とは違い、術を使えば何でも聞き取れる仲間達をそっとうかがい見る。
「何?」
視線に気が付き、隣に立つ拓也が短く問いかけてきてくれた。
「状況を教えて」
「ポンボ職のイーシィが、これから謁見するって。けれど、その前に姉のシャータが俺らに挨拶する段取りらしい」
「そっか」
ありがとうねと呟いて、これから来るという要人を待ち構える。そのつもりなのに、拓也がじっとこちらを見つめたままなので戸惑った。
「何?」
今度はこちらが問いかける番。けれど拓也はそれに答えず、くすっと笑い出す。
「顔。無茶苦茶、強張っている」
「へ?」
「大丈夫だよ」
くしゃくしゃと私の頭を無造作に撫でると、拓也は普通の表情で正面を向いた。その思いもよらなかった行動に呆気に取られ、緊張が一気に緩む。えーっと、これって子供に対してするもんじゃないの?
こんな場面でと怒るべきなのか、それともお陰様で緊張感も取れましたと感謝するべきなのか。混乱をしているうちに奥の扉が開いて、数人の女性が入ってきた。そのうち先頭を切る一人が正面の台の上、据えられた二脚の椅子の左側に座るのを見て、すかさずみんなでひざまずく。
やっぱり感謝、なんだろうな。拓也のワンクッションのお陰で、謁見の始まりを自然な動作で迎えることが出来た。後はこのまま正座をすると、手のひらを上に向けておでこを地面に三度つける。今までシャラブ以外の人間にはした事の無い、久しぶりの叩頭の礼だった。
「面を上げるように」
側面に控える侍女に術を使って話しかけられ、ゆっくりと頭を上げる。
「これから謁見を行います。その前に先ず身元の確認として、あなた方から預かりました通行証を読み上げます。種類は術士用。ケレイトの族長シャラブ・ケレイトナム殿が保証人。それぞれの名はジハン・ケレイトナム、フジサキ・ハルヒコ、イイジマ・タクヤ、オガサワラ・ミユキ、ナリタ・マコ。以上で間違いは有りませんか?」
「はい、間違いはございません」
引き続き侍女に尋ねられ、目を伏せたままジハンが返答する。一緒になって目を伏せてはいるものの、好奇心は抑えきれない。正面の女性が気になって、ちらちらと視線を上げて観察した。
椅子に座っているというのに、真っ直ぐな姿勢。威厳のある態度。美しい装いとも相まって、その存在全てで、自分が身分ある人物なんだと主張している。そんな彼女がふと身じろいで、凛とした声が発せられた。
「私はエシゲ家の宗主、エシゲ・ポンボ・シャータ。この街ホータンウイリクは、あなた方を歓迎いたしましょう」
「ありがとうございます」
ジハンの感謝の言葉と共に、自然とまた叩頭の礼をしてしまう。身分の高い人にする礼だとは教わったけれど、どのタイミングでとは聞いていない。そんな自分が自然に行っているんだから、完全に気迫に飲み込まれていた。
「ジハン殿は次のケレイト族を担う大切なお方。そのような方々にこの街を訪問していただけたのは、非常な喜びです。どうぞもっと楽にしてください」
にこやかにそう言われるのだけれど、実際のところこの状況でどう楽に出来るのかが分からない。皆の真似をして、とりあえず上半身を起こしてみる。今度は堂々と、段上の彼女を眺めることが出来た。でもこうして遠慮無く高貴な人を見るということが、「楽にする」ってことなんだろうか。お作法ってよく分からない。
一方、挙動不審でいる私に比べ、皆は慣れたものだ。落ち着いた物腰でそれぞれがポンボ・シャータを見つめ、それを受けて彼女は鷹揚にうなずいた。
「今回、このホータンウイリク宮にあなた方をお呼びしたのは、現ポンボ職のイーシィです。玉の力で、あなた方が今日ここに来られる事を、誰よりも先に知ったのでしょう。彼女とはこれから会見となりますが、その前に、あなた方に対する私の認識が間違っていないか、確かめさせていただきます」
その声もその口元も、あくまでも優しい笑みに満ちている。それなのになぜかこの謁見の間には、ぴんと張り詰めた空気が漂っていた。
「あなた方はこの通行証が示すとおり、ケレイトの術士であり、それ以上でもそれ以下でもない。この認識で、よろしいですね?」
それは、何を意味しているんだろう?
遠回りな問い掛けがまどろっこしくて、一瞬、意図が読めずにぼんやりとしてしまった。
「私達はキョエンから失われた玉を探しにこの地まで来た、ケレイトの術士でございます」
美幸の声にようやく頭が動き出す。ケレイトの術士なだけって、つまりは過去ポンボ職だったナムニの生まれ変わりとか、そういう話は一切無しって、こと?
「恐れ入りますが、イーシィ様にはどのように伝わっているのでしょう」
「口に出すのも憚られる、下賎な噂話です」
ポンボ・シャータはそう言うと、軽やかな笑い声を立てた。
「妹はまだ若い。ポンボ職として入ってくる情報を、うまく取捨することが出来ないのです」
彼女の瞳は真っ直ぐ美幸を捕らえたまま、決して反らそうとはしなかった。一方の美幸もその視線を受け止めて、口角を上げてにこやかに微笑んでいる。
「私達ごときが、宗主様に加え、ポンボ職様とお会いするなど、恐れ多いことでございます。噂などに振り回され、万が一にでも、お二方のお気を煩わせるような事が起きてしまっては、お詫びのし様もございません。出来ればこのまま退出をご命じていただければと」
その言葉を受け、ポンボ・シャータの笑みがふと途切れた。そして現れるのは、冷徹な表情。
「それだけ分かっているのなら、よろしい。ポンボ職を不必要に惑わせぬよう、以後の言動にはくれぐれも気をつけるように。ポンボ・イーシィを、ここに」
宗主の命令に扉が開き、程なくして衛兵に誘導された一人の少女が入ってきた。
「百三十八代目ポンボ職、イーシィ様でございます」
誇るような侍女の宣言を受け、またしても叩頭の礼が始まる。機械的に動作を繰り返しながら、美幸とシャータ、今までの二人のやり取りを反芻していた。
私の理解の及ばないところで、巧妙な駆け引きが続いている。美幸がナムニの生まれ変わりだという話に嫌悪感を示すシャータに、敢えて反論をせず、この場を引き下がろうとする美幸。詳細が分からないから見守るだけしか出来ないんだけれど、でもなんか、シャータの態度って、すっごくむかむかしてこない?
すっかり意識がそちらの方に向いていたので、もう一人の主役を忘れていた。ガタンという音が響き、はっとして顔を上げる。次の瞬間私の目に映ったのは、少女が美幸に向かって駆け寄る姿と、その後ろで椅子が転がる光景だった。
「あなたがナムニ叔母様の生まれ変わりですね。初めまして。私はイーシィ。エシゲ・ポンボ・イーシィです」
「ポンボ・イーシィ!」
厳しく叱る声が、謁見の間に響き渡る。
「軽率な行為はお止めなさい。あなたはポンボ職にあるのですよ」
思わずといった様子で、立ち上がるシャータ。その表情は、明らかに苛付いている。けれど妹であるイーシィは気にした様子も無く、美幸を抱きしめたまま首をかしげてみせた。
「なぜ? 三代前のポンボ職、ナムニ様の生まれ変わりである方が、このホータンウイリクを訪れたのよ? 私達は誠意を持って、もてなすべきだわ」
「それは単なる噂です。現ポンボともあろう方が、そんな噂一つに振り回されるなど、もってのほかです」
「噂。確かに噂でしかなかったけれど、ここにこうしてご本人がいらっしゃいます」
そこで言葉を切ると、イーシィは美幸を見つめ、にこりと微笑んだ。
「一目で分かった。私が生まれた時にはすでに亡くなられて二年が経っていたけれど、こうして初めてでも、お会いすれば直ぐに分かる。この方は、ナムニ様です」
謁見の間に、彼女の無邪気な声だけが響いていた。