遠い記憶
3.鳥の章
その3
テニスコートほどの広さを持つこの謁見の間に、人々は二手に分かれて立っていた。
扉から向かって奥にいるのは、シャータとその侍女や衛兵達。当初、優雅に椅子に腰掛けていたシャータは、今ではすっかり立ち上がり、こちらを冷たく見下ろしている。
そして、手前にいるのが私たち。綺麗に整列して座っていたはずなのに、一人乱入したお陰でかなり列は乱れている。
「イーシィ、お退きなさい」
先ほど一瞬だけ見せた激昂を押さえ、エシゲ家の宗主シャータが冷静に、声を発する。
「嫌」
列が乱れた原因、この斎場の最高位であるポンボ・イーシィが、そんな姉の命令をあっさりとはねのけた。彼女は美幸を抱きしめたまま、こちら側から動こうとはしない。
「イーシィ」
「お姉様こそ、何故そのようなよそよそしい態度でいるのです? 幼い頃、ナムニ様に遊んでもらったことがあると、以前話されていたではないですか」
姉の威圧的な態度にひるむことなく、イーシィが反論する。微妙に拗ねた口調といい、昔話を持ち出してくるところといい、このやりとりは十分、姉妹喧嘩のノリだ。けれどその立場や迫力から、謁見の間にいる誰一人として口を挟むことが出来ずにいた。
もちろん、私もただ黙って見ているだけ。そのはずだったのだけれど、
「その者は、ポンボ・ナムニ様である事を否定しました。彼らは只の、旅の術士です」
シャータの断言をする口ぶりに、瞬間的にかっとした。
「否定は、しておりません」
気が付けば、正面の彼女を真っ直ぐに見つめ、そう言い切っていた。
「私達はケレイトの術士なのかと聞かれたので、美幸はそうですと答えただけです。前世、エシゲ・ポンボ・ナムニであったことを否定するようなことを、彼女は言っておりません」
すぐ近くで、ヒコが小さく「やっちまったよ」と呟く声が聞こえたけれど、ここで退くことは出来なかった。気迫に飲み込まれないよう、挑戦するようにシャータを見つめ続け、反応を待つ。
「ポンボ・ナムニ様であるはずが、無い」
しばらく沈黙した後に切り出したシャータの声は、妙な落ち着きに満ちていた。
「エシゲ家がポンボ職となり、この地の気を鎮めたのが九百年前。以来我が一族は、誇りを持って玉を造り、守り、家督を継いで参りました。この九百年、清廉潔白に職務を全うしてきたのです。だがポンボ・ナムニは、キョエンの玉の交代時、世を惑わず罪人として処刑された。彼女が本当にナムニの生まれ変わりなら、自分の犯した罪を恥じて、決してここに現れようとはしないはず。この場に呼ばれ、のこのこと現れる娘など、エシゲ一族の生まれ変わりであるはずが無いのです」
「お姉様!」
何、それ?
イーシィの咎めるような叫び声が響いたけれど、私はただシャータを見つめるだけだった。あまりの物の言い様に、なんて言い返していいのか、とっさには思いつかない。
「宗主様」
そしてそんな混乱の中、逆に忘れ去られていた渦中の人、美幸の声がイーシィの腕の中から聞こえ、はっとした。
「これ以上の会見は、不毛でしょう。私達は退出させていただきたいと存じます」
「ナムニ様!」
姉に対する態度から一転し、おろおろとする、イーシィ。そんな彼女の腕をそっと外し、美幸はあらためて手を付き、目を伏せた。
「私の今の名は、美幸。小笠原美幸と申します」
自己紹介にどう反応して良いか分からない表情で、イーシィが黙り込む。その隙を縫うようにシャータが合図をし、侍女が謁見終了の宣言をした。
「今日は、長らく時間をとらせてしまいました。離れを用意しております。今夜はそちらへ」
「ありがとうございます」
美幸のお礼を区切りとして、侍女がイーシィを引き離し、この場から連れ出す。私達も促され、無言のまま宮殿の敷地内、裏門近くに建つ建物に案内された。
平屋の一戸建て。ちょうど人数分に五つの寝室と一つの居間があって、まるでキャンプ場のロッジの様。けれど最高権力者の招待客が泊まるにしては、簡素な造りの建物だ。多分、直前までは使用人の宿舎だったのだろうこの離れに荷物を置いて、そのまま居間の絨毯敷きの床にへたり込む。
「お疲れ様」
同じように座り込み、近くにあったクッションを幾つか引き寄せると、美幸はそのうちの一つを私によこした。
「……なんで、言わなかったの?」
あれだけの出来事があったにもかかわらず、相変わらず淡々としている美幸を睨み付けながら、早速切り出す。
「何を?」
分からない振りをして聞き返す、美幸。でもその目が私の視線を受けない様、揺れていることに気付いていた。
「誤魔化すのは無しだよ、美幸。なんで自分がナムニの生まれ変わりなんだって、はっきりと言わなかったの?」
「真子、とりあえずお茶でも飲んで、落ち着いてからの方がいいんじゃないか」
「ヒコは黙っていて」
きっぱりと言い放ち、クッションを抱きかかえたまま、美幸に向き直る。シャータのあの高飛車な態度にはストレートにムカついたけれど、美幸のやたらに受け身な態度にも、正直言って苛付いていた。戸惑ったのはイーシィだけじゃない。私だってきちんと納得の行く説明を、美幸の口から聞きたいんだ。前世のこと思い出してないからって遠慮するのは、もう止めだ。
けれど彼女はそんな勢いの私と決して目を合わせることはなく、次第に顔をうつむかせていった。
「美幸」
「……言える訳、無いでしょ。シャータの言ったこと、事実だもの」
「事実? 何が」
本気で分からず、聞き返す。途端にあれだけ反らされていた瞳が、強い力でこちらを見返してきた。
「私は罪人として殺された。それは事実だってこと」
「でも、本当に罪を犯したわけじゃない。濡れ衣で殺された、被害者だよ」
「被害者だからといって、罪人として処刑された事実が消えるわけでもない。結果として、私は家名を汚してしまった。やはり、ここに来てはいけなかったのよ」
その頑なな表情に、ふつふつと怒りがわく。クッションを抱く手に力がこもった。
「あのさ、実家なんでしょ、ここ? なんでそんなに卑屈にならなくちゃいけないのよ」
「実家だから受け入れてくれるなんて、そんな甘い家じゃないくらい、さっきので分かったでしょ。真子だって言っていたじゃない。迎えは来ないのか、って。迎えは来なかった。それはナムニが罪人として死んだから。ナムニの生まれ変わりが現れたとか、それを信じるかどうかとかそんなの以前に、話は終わっているのよ」
「違うっ」
もどかしくって、子供みたいに地団駄踏みたくって、クッションを投げ捨てる。
「イーシィは、ナムニの生まれ変わりを歓迎していたよ。なんでシャータの言い分だけを受け入れるの? さっきの美幸は、ずっと逃げていた。早くあの会見を終わらせたがっていた。あれじゃあまるで、自分がナムニの生まれ変わりだってこと、恥じているみたいだよ」
「仕方ないじゃない!」
ばんっと、美幸の手からもクッションが床に向かって投げつけられた。
「シャータの言っていることの方が、エシゲ家の総意として合っているんだもの。私がこの世界に戻るようになって、何年になる? 最初は、気付かないだけだって思っていた。ケレイト族に保護されているから、分からないのかもしれないとか。でも、いよいよチャガンを、ドゥーレンを捜そうってなって、私たちの存在を風に乗せて公表しても、エシゲ家は迎えには来てくれなかった。考えられる理由は幾らでもあったのよ。私にとって、都合の良い理由も」
そこで言葉は途切れ、また美幸の視線は落ちてゆく。しばらく続く、無言の時間。何かを堪えるように唇をかみ締めると、美幸はそれから息を吐き出した。
「古い家だから、色々なしがらみが幅を利かせている。死んだ人間が生まれ変わって戻ってこようとしているって聞いても、それを素直に信じることが出来ないのは、理解していた。ちょっとした機会をうかがい、付け入ろうとする勢力や、いつでも足を引っ張ろうとする親戚筋なんて幾らでもいるから。だからこそ、自分の力で前世で果たせなかったことを成し遂げれば、堂々と胸を張って帰れるのだと思っていた。けれどね、別の可能性もあるってことも、分かっていたの」
「……罪人として処刑されたから、家名を汚したから駄目、ってこと?」
私の問い掛けに、美幸がふっと微笑みながらうなずく。その自虐的な反応に、胸が痛んだ。そんな顔しちゃ駄目だ、美幸。
「生まれ変わって、ここ以外の別の世界を知って、判断が鈍っていた。九百年も途絶えることなく、一家系だけがポンボ職をやっているんだもの。厳しくもなるよね。罪人として殺された。それは紛れようも無い事実。現在の宗主がそれを恥と判断するのなら、私はそれを受け入れるしかない。エシゲ・ポンボ・ナムニの生まれかわりだからこそ」
まるで自分の中では乗り越えてしまった事のように、美幸はきっぱりと言い切った。涙も見せない、淡々とした表情。けれどその表情を見せるため、彼女がどれだけの努力を図ったのか、どれだけの感情を捨て去ったのか、それを思うとまた胸が痛くなる。
「でも、美幸は罪を犯したわけじゃない。それも事実だよ」
どうにかして美幸の心に触れたくて、私は言葉を紡ぎだす。抑えようとしているのに、震えてしまう声。美幸はぼんやりと私を見て、それからぎょっとしたように見つめ直して、焦った口調で問い掛けてきた。
「ちょと、真子! 何で泣くの?」
ああもう、やっぱりばれちゃった。視界がどんどんぼやけてくる。
なんだか悔しくって、だから敢えて開き直って、言い切った。
「美幸が泣かないからだよっ。美幸が泣かないなら、私が代わりに泣く!」
「え、だって、真子自身のことじゃないでしょ。なんで、泣くの」
素で聞き返す美幸に、もどかしさが余計につのる。この子はなんで、全ての感情を自分独りだけで治めようとするのだろう。
「違う。みんな、同じでしょ。拓也も、ヒコも、そして私も。みんな濡れ衣着せられて、罪人として殺された。けれど、やっぱりここに戻ってきたんだ。だから、美幸は独りで勝手に納得して、あんな言いがかりを受け入れていたら駄目なんだ。胸張ってなくちゃ、駄目だ。家名とか、そんなの関係無い。美幸は卑屈になることも、恥じることも無いんだ」
ぼろぼろ涙を流しながら、感情に任せて喋っている。頭のどこかで、今の自分の姿はただの駄々っ子にしか見えないんだろうなぁと、自覚していた。でも、止まらなかった。あんな、一方的に存在を否定されて、それを大人しく受け入れている美幸なんて見たくなかったんだ。
「みんな、同じだよ。美幸だけが言われたんじゃないんだよ」
涙を拭うことなく美幸を見つめ、私はその言葉を繰り返す。届いて欲しかった。美幸に、自分独りだけじゃないんだって事を分かって欲しかった。
時間にしたら、ほんの数秒。けれど、私と美幸にとっては計れないほどの間。
「泣く必要なんて、無かったのに」
そんな声がぽつりと聞こえて、それから彼女がいつものように口元だけで微笑もうとする。けれどそれは直ぐに失敗して、小さく歪んだ。
「でも、そうだよね」
自分の表情を隠すように私を抱きしめ、肩に顔をうずめる美幸。少しかすれた声が、耳元で聞える。
「自分の中で折り合いつけるのに気を取られていて、忘れていたわ。確かに自分だけじゃない。みんなのことも、否定されていたんだよね」
ため息混じりの言葉。この期に及んで、まだそんなずれた事を言っている。でも、抱きしめられた腕の強さから、私が何を言いたかったのか、彼女の心に届いているのを確信した。だからすかさず駄々っ子口調のまま、反論をする。
「そうじゃない。別にいいんだよ、私たちのことなんて。美幸が本当の事を言えないのが、一番嫌なんだよ」
一瞬の間の後、くすくすと笑い声がする。それから小さく「ありがとう」と呟かれた。
しばらくそのまま、美幸と二人、ただ抱き合う。そしてその間、くしゃくしゃと頭を撫でられる感触がした。それから、肩を叩かれる感触も。美幸に抱きしめられたままだったから、拓也とヒコなんだと思う。多分、きっと、そう。
「真子、美幸、お茶にしましょう。サムハク茶がありますよ」
柔らかい、ジハンの声。鼻をすすって、顔を上げる。途端、美幸以外の三人に見つめられていたことに気が付いて、一気に顔が火照ってしまった。さすがにやっぱり、恥ずかしい。
ジハンはそんな私に、カップをそっと握らせた。甘い花の香りが、湯気と共に漂ってくる。
「やはりエシゲ家ともなると違うものですね。ごく普通に置いてありましたけど、最高級のサムハク茶ですよ。ほら、以前知りたがっていた味」
穏やかな解説に心を落ち着け、お茶を一口飲む。
体の中に染み渡ってゆく、花の香りとまるいほのかな甘み。先日見た、白くて可憐な花々が思い出される。
「……美味しい」
思わず呟くと、すかさずヒコが話を振ってきた。
「夕飯はこっちに持ってきてくれるって言っていたよな。この分だと、久しぶりにチーズとスープ以外のものが食べられるぞ」
あからさまにご飯で釣ってくるなんて、本当に子供扱いだ。
そう思ったら、なんだか堪えきれなくなってくすりと笑ってしまった。仲間達の優しさが、心地良い。
だから、今度こそ真っ直ぐに彼らを見る。照れ臭ささに負けて視線を彷徨わせてしまったけれど、すぐに深呼吸をして、それから問い掛けた。
「取りあえずさ、今日はここで一泊するけれど、明日からはオボ山に向けて行動するんでしょ」
いつもの調子。いつもの調子。
心の中で唱えた言葉が届いたかのように、拓也もいつもの調子で答えてくれる。
「朝一で、先ずは市場へ買出しだな。荷車替えの手配と、食料調達、二手に分かれるよ」
「確かに、その方が効率良いな」
続けて打ち合わせ話に乗ってくれる、ヒコ。美幸ももう普段通り、会話に参加してきた。
「つくづく余分な道草だったわね、今日は」
うわ。
「それ、美幸が言っちゃうんだ」
見事なまでのいつもの調子さに、つい突っ込みを入れてしまう。けれど美幸は肩をすくめると、堂々とうなずいた。
「真子が代わりに泣いてくれたから。私としては頑張るしかないじゃない? 当初の計画通り、さっさと見つけて胸張って帰還するわよ」
話し方はあっさりとしているのに、内容は決意に満ちている。こういうところが、美幸なんだよね。
私はまた小さく微笑むと、細かい打ち合わせに没頭していった。
打ち合わせはしばらく続き、一通り終えたところで、夕飯が運ばれてきた。
久しぶりのご馳走。なんといっても、久しぶりの野菜!
ヒコも言っていたけれど、本当にこの一ヶ月、チーズと干し肉のスープしか食べていなかった。こちらに来て初めて目にする料理の数々に、嫌でもテンションは上がってくる。そんな私達の反応に戸惑うジハンは反対に、お肉以外のものにはあまり手を出してはいなかった。食生活の違いって、結構大きい。
ともかく、そうして食事も終えて日もすっかり暮れたところで、今日は早めに就寝となった。
明日から忙しくなるから、旅の疲れは取っておこう。そう言って、一人ずつにあてがわれた部屋の寝台に横たわるのだけれど、なんだかなかなか寝付けない。もうすっかり、隣で美幸が寝息を立てている環境に慣れてしまっている。特に今日は美幸がらみで色んなことが起こったから、余計に一人というのが心細かった。
何度も寝返りを打つ。それでもいつかしら、うとうととしてきた頃、遠くで馬の嘶く声が聞えた。
多分、あの声の調子だと、一騎だけ。それも直ぐに静かになったので、そのうち眠りに引き込まれる。
今日の場面を思い返したような、よく分からない切れ切れの夢。そんなものを幾つか見て、気が付けば朝になっていた。こっちに来て、一番の眠りの浅さだ。
大きく伸びをして、あくびをして、毎朝のジハンの儀式に参加しようと部屋を出る。居間の玄関口、ジハンが扉の向こうの誰かと話をしているのが、目に入った。
「……それでは理由になっていない!」
「ジハン、どうしたの?」
きつめの口調。温厚な彼にしては珍しく苛立ちが現れている。その声に驚いて駆け寄ると、玄関の向こうをのぞき見た。
「衛兵? なんで?」
屈強な兵士が二名、そして術士と思われる男性一名が、扉の向こうからジハンが外へ出ないようにと塞ぎ止めていた。状況が読めず、ジハンの袖口を引っ張ると、彼は扉を閉めてから私に向き直る。困ったような表情で私を見て、それから簡潔に報告してくれた。
「私達は軟禁されました。以後は彼らの監視下に置かれ、当分の間、ここからは出られません」
いやジハン、それじゃ簡潔すぎてよく分からないよ。
何を言われているのか、意味を飲み込むのに手間取り、それから慌てて聞き返した。
「どうしてっ? 何のために?」
「分かりません。ただ、これは宗主の意向だと言っています」
「宗主って、シャータの?」
「ええ」
うなずくジハンも、そしてそれを見つめる私の顔も、同じく当惑をしている。その頃になって、この騒ぎに気付いた皆が起きてきた。