遠い記憶

3.鳥の章


その1


 牛車に乗って、ゴトゴトと。
 私達の旅も気が付けば一ヶ月を越え、いよいよ明日には目的地の手前、ホータンウイリクへという処まで来ていた。
「ホータンウイリクで準備をしたら、すぐにオボ山へ行くんだよね」
 荷台に腰掛け、正面に座る拓也に聞いてみる。揺れる牛車の中で出来ることは限られているけれど、拓也は馬具の整備に余念が無い。
「すぐにでも行きたいところだけれど、どうかな」
 そうだよ、と言われるとばかり思っていたのに、返事は意外にも慎重なものだった。
「準備も一日で終わらないからね。さすがに山道をこの牛車じゃきついから、まずは一頭立ての荷台に替えるだろ。あと、馬も替えて、市場で食料品も買い込んで。やる事は一杯あるよ」
「ゴクとマゴク、替えちゃうの?」
 驚いて聞き返す。馬とはいえ、毎日世話をして乗っている、大切な旅の仲間だ。そう簡単には別れられない。
「草原の馬は山道に慣れていないからね。その土地に適した種類に替えないと。でも、手放したりはしないよ。帰りのこともあるし。市場で預かってもらえば良い」
「そっか」
 安堵のため息をついて、荷台の外、私達が後にしてきた景色を眺める。
 荒廃し、人々から捨てられた都市キョエンを出て、ケレイト族の祭りの場であるハダクの丘へ。そして草原の世界から西へと向かい、途中、砂漠との境目をなぞりながらも、今はまた景色の中に緑が増えている。前方には目的地である聖なるオボ山も含めた連峰が横たわり、起伏に富んだ地形になっていた。牛車なんていうずいぶんとアナログな移動手段で進んできたけれども、景色の変化に、それなりに距離を重ねている事を実感する。つい感慨にふけっていたら、どこか聞き覚えのあるメロディが流れてきた。正面を見つめると、馬具を磨く拓也が、自然と口ずさんでいる。
「それって、拓也の好きな曲だよね。コンビニから出た後で聞かせてくれた、曲」
「え?」
 無意識のうちに歌っていたせいなのか、拓也は最初、私の言った意味が分からない様子だった。でも、それからすぐに思い至ったらしく、うなずいてくれる。
「一回しか聴いていない曲なのに、良く分かったな。しかも、ただの鼻歌なのに」
「私も良いと思ったから。ちゃんとは覚えていないけれどね。だから、歌ってみせてよ。聴きたいんだ、その曲」
「下手だよ、俺」
 そう言いながらも、拓也が歌ってくれる。ところどころ歌詞が怪しくなって、鼻歌で誤魔化されたり止まったり、そんな歌い方。けれどそれもまた、心地よく耳に残る。ジハンの背中越しにオボ山を見つめ、私はこの歌を初めて聴いたときの事を思い出していた。

 別の場所に連れて行って。って、歌っているんだ。
 他の場所、他の国、ここではない別のどこか。自分が本来いなければならなかった、本当の世界へ。

 そして今、私たちはここにいる。
 ゆっくりと視線を戻し、拓也を見た。鐙(あぶみ)に付いた泥を落とし、丁寧に磨いている。牛車の揺れと歌のリズムに合わせ、手が動く。飾らない、素のままの表情。この世界に溶け込んだ姿。
 本来いるべき世界へと戻った拓也は、もうあちらへは帰るつもりはない。最初の説明の時そう聞いたけれど、その決意は今でも変わりは無いんだろうな。
「拓也」
「うん」
 呼びかけに反応して、拓也が顔を上げる。
「何?」
 真っ直ぐにこちらを見つめる。その瞳にさらされて、自分の中に一つの言葉が浮かんできた。けれど私はその言葉を口に出さない様に、茶化した調子で感想を述べる。
「さすが帰国子女だなーと。英語の歌なのに、普通に歌っているんだもん」
「何だよそれ」
 そう言って笑うと、拓也はまた作業に戻ってしまった。

「例えばあの時、私が「ジン」って呼びかけても、拓也は普通に返答した訳なんだよね」
「まあ、そうなんじゃない」
 夕方になって、本日の野営地を決め、夕飯の支度が始まった。今夜の食事当番は、私と美幸。と言っても、やることは乾パン出してチーズを切って盛り付けて、後は干し肉でスープを作ることだけ。慣れた作業に、自然とおしゃべりも多くなる。すぐ横ではジハンの飼い犬チャイグが、のんびりと寝そべっていた。
「大体、真子が来るまで当たり前に、こっちの名前で呼んでいたんだし。私としてはなんで今更そんなことを言い出すのか、そっちの方が良く分からないんだけど」
 美幸の質問に、岩塩を削っていた手が止まる。先ほどの拓也の表情と、以前学校で見かけていた「飯島王子」の姿。どちらが自然かと言えば、それはもう聞くまでも無いことで。
「拓也にとっては、こっちでサイムジン・ハングでいることの方が、当たり前なんだよね」
「まあ、そうなんじゃない」
 その気の抜けた返事の仕方に、うっと言葉が詰まってしまう。そうだった。こっちの姿の方が本来の自分だと考えているのは、拓也だけじゃない。私を抜かした後の二人、美幸もヒコもそうなんだ。
「美幸も拓也と同じで、元の世界に帰る気はないの?」
 そっと上目遣いに聞いてみる。一番最初にこの話が上がった時、険悪な雰囲気になってしまった。あれが印象的だったせいか、どうもこの手の質問をするのに身構えてしまう。
「元の世界ね。どっちのことって思うけど。……正直言って、帰ることは考えていなかったわ」
 一方、聞かれた美幸は表情を変える事も無く、淡々とそう答えた。
「こちらでやることがあって、必要とされているならその仕事をこなすだけだと思っていたから。でも、帰れるのなら帰るかな。あっちの世界に不満があるわけではないからね」
「ヒコは、どうなんだろう?」
「さあ? 聞いた事が無いから分からない」
「話し合ったりとか、しなかったの?」
 最終日にいきなり参加の私なんかより、遥かに三人は事前の付き合いが長い。それなのに、その後の話をしていないなんて不思議だ。
「一番の目標が、チャガンをキョエンに祀ることだしね。それをクリアすることだけを考えていたから。そのために私たち、わざわざ生まれ変わったんだもの」
 当たり前のように美幸がそう言う。けれどその当たり前すぎる態度に、疑問がふと沸き起こった。
「大体さ、なんでこっちの世界で生まれ変わらなかったのかな? 殺されたからって、わざわざ別世界に転生することも無かったんじゃないかと思うんだけど」
 素朴な疑問ではあるのだけれど、考えれば考えるほど不思議に思えてくる。これに関して、美幸はどう考えているんだろう。
「思い出せば、分かるんじゃないの」
 カチャンと、食器の触れる音と共に、美幸の返答が聞こえた。
「え?」
 今までとは違う突き放したような言い方に、とっさに見上げる。そして彼女の表情の硬さに、言葉が詰まってしまった。周辺の温度が一気に冷えてゆくような、そんな静かな怒りがにじんで見える。
「……いい加減、思い出してよ」
 短くそう言い放つと、美幸はふいっと去ってしまった。どうすることも出来ずに、ただ呆然とその後姿を見送る。チャイグはちらりと私を見上げると、そのままゆっくり美幸の後を追って行った。
 とりあえず、私が何か地雷を踏んでしまったことは確かだろう。でも、それだけれど、
「きついなぁ……」
 耐えかねて、小さく呟いてしまった。さすがに前世の記憶がらみで責められると、結構ダメージが大きい。
「うっわー。苛立ってるな、美幸の奴」
 背後からの声にびくりとして、それから息を吐いた。
「ヒコ、ジハン」
 馬と牛の世話を終えた二人が、戻ってきたところだった。こんな場面を見られて、良いのか悪いのか。言い訳も出来ずに、力の無い笑みを浮かべてみせる。
「怒らせちゃった」
「前世絡みの話だろ? 思い出せって言っていたってことは」
「うん。そう」
「仕方ないよ。あいつも実家近くで神経質になっているだろうし。真子との話で、色々と思い出したんじゃないのか」
「実家?」
 初めて聞くその情報に驚いて、繰り返した。実家ってことは前世の、エシゲだった頃の出生地だってことで良いんだよね。
 落ち込んだ表情から、疑問だらけの表情に変わったのが自分でも分かる。ジハンはそんな私に穏やかな微笑みを向けてから、火にかかってる鍋を見た。
「まだすぐには出来上がらないですね。私は天幕張りを手伝ってきますよ。その後で、美幸を連れて戻ってきますから」
「……ありがとう、ジハン」
 感謝の言葉に片手を上げて応えると、ジハンが牛車の向こうで作業をしている拓也に向かって歩いてゆく。その後姿をしばらく見送ると、私はヒコに向き直った。
「で、エシゲはホータンウイリク出身なの?」
「エシゲ、というかエシゲ家は、ホータンウイリクを代表する「玉の造り手」の一族だよ」
「エシゲ家、って?」
 質問を重ねると、ヒコは焚き火の前に座り、近くに来るようこちらを促す。片手間じゃない、きちんと話をしてくれるということなんだろう。そう言えば、私が思い出すの前提でみんな接していたから、前世の話って今まであんまり聞くことがなかった。せっかくの機会なので、色々と聞いてみたい。
「ここホータンウイリクにも斎場があって、玉を祀っているんだ。キョエンと違い、ここでは玉を扱う術士達は、ある一族に限られている。それがエシゲ家。美幸の前世の名前、エシゲ・ポンボ・ナムニは、エシゲ家のポンボ職であるナムニと言う意味。ポンボ職というのが、いわゆる「玉の造り手」のことな」
「ってことは、今までエシゲって呼んでいたのって、美幸に「小笠原」って呼んでいたのと同じことだったんだ」
 他にも少なからず情報があったはずなのに、なぜだかそんなところに突っ込みを入れてしまった。いやでも、呼び名って重要だしね。
 ヒコはそんな私に構わず、遠い目をして伸びをする。
「伝統と実績のある名家だからな。ナムニなんて、恐れ多くて呼べないよ。本当は、エシゲって呼び付けにするのも憚られるんだぜ。普通は様付け。エシゲ様って奴。でも俺たち一応、「玉の造り手」選抜チームだったからな。さすがにそれは免除されていた」
「あれ? でもそれを言ったら、シャラブは?」
 私の前世、アクタの養父であるケレイト族の長を思い出して、一気に焦る。ごく普通に呼び捨てしていたんだけれど、あれってまずかったんだろうか。
「大丈夫。ケレイト族は、身内に対して敬称をつける習慣が無いから。俺たちも、転生後に初めて会った時に、これからは呼び捨てにしろ宣言されていたし」
 その解説を聞いてほっとした。でも、こういった風習とか習慣って、いつどこで知らずに失礼なことするか分からないから、怖いなと思う。
 そんな事を考え、ちょっとどきどきしながら、美幸の前世へと意識を戻した。えーっと、凄いお嬢様っぷりだよね。転生後の今だって、乗馬習わしてくれてインターハイまで行っちゃうお家だし。二度の人生に跨ってお金持ちというのは、正直羨ましい。
「でもなんで、名家のお嬢様がわざわざキョエンにまで来ていたの?」
「招聘されたんだよ。ホータンウイリクの斎場は、歴史が古いんだ。それだけで各地方に散らばる斎場の中でも別格扱いでさ。さらにキョエンの玉が崩壊する数年前に、ホータンウイリクでも玉の交代があったんだ。その時のポンボ職をやっていたのが、ナムニ。奴はその手腕を買われ、キョエンでも玉の交代が滞りなく行われるよう、請われてキョエンにやって来た」
「エシゲ様様だね」
 自分の前世、アクタもかなりの経歴だと尻込みしていたのに、対する美幸の方も派手なものだ。しかも家柄がある分、エシゲの方が上なのか。
 ヒコとか拓也の前世もこんな調子なのかな。そう質問しようとヒコを見たら、目が合った途端、ふき出されてしまった。
「言っておくけど、俺とジンは庶民の出だからな」
 考えは、読まれていたらしい。つられて一緒に笑いながらも、質問を続けてみる。
「じゃあ、ヒコの前世は? オロム・アルスンはどんな人だったの」
「俺は、キョエンで商売やっていた家の息子だよ。結構手広くやっていてさ、将来は店を継ぐ予定だった」
「玉の造り手だったのに?」
「そっちの方が後だったからな。普通、術士としての能力って、生まれたときとか幼少期から発揮されるものなんだ。それがなぜか俺の場合、二十歳超えてから顕れてさ。しかもその能力が人並外れていたもんだから、面白がられてスカウトされたんだよ。だから、次の玉を造って引き渡したら、さっさと斎場は退出して、店を継ぐ予定だったんだ。婚約者までいたんだぜ。幼馴染の」
 軽い口調で話を続けるけれど、その瞳は遥か遠くを見ている。拓也や美幸が時折見せる、あの目だった。
「それって、十八年前のことなんだよね」
 殺された、その結末を知っているだけに、残された人たちの行方が気になってしまう。けれどそれをどう聞けば良いのか分からなくて、なんだか中途半端な投げかけになってしまった。ヒコはそんな私の意図を察してか、さらりと核心を話してくれる。
「家族や婚約者が今も生きているかどうかは、分からない。多分、別の街に逃げたとは思うんだけど」
「そっか……」
「幸せに、暮らしていて欲しいよな。苦労はしていても、最終的には幸せであって欲しい。多分、そう願っているから、生まれ変わってまでここに戻って来たんだよ、俺たち」
「みんなを幸せにするために?」
「戦隊ヒーロー物の台詞みたいだけどさ」
 そう言って笑うヒコの表情は、普段のちょっと面倒臭そうな、斜に構えた感じの顔付きとは違って見える。私にアクタ・ケレイトアだった過去があるように、三人にもそれぞれの過去がある。改めてそれを実感させてくれる、顔付きだった。
「ヒコは、もうあっちの世界へ帰る気は無いの?」
 今だったら聞けるのかな、と思って口に出してみた。思いついた時に勢いで聞かないと、どうも変な遠慮が出て後々では聞けなくなってしまう。でも、そんな私の内心の意気込みを見透かしたのか、ヒコに苦笑されてしまった。
「ごめん。答えたくなければ、流していいよ」
 やっぱりこういうの聞くのって、踏み込み過ぎなんだろうか。焦って言い訳をしようとしたら、それを止めるようにヒコが話し始める。
「以前、帰りたくないのかって聞いただろ」
「タラス湖畔でのこと?」
「ああ。あの時、実は結構衝撃的だったんだよな。俺、全然帰ること考えてなかったから。でも、帰る気満々の真子を見て、そういえばそういう考えもあったなって思って。あれから、帰る事を時々考えている。とりあえずは、玉を何とかする方が先だけれどさ」
「そっか」
 ヒコも美幸も、受身ではあるけど、帰る事を可能性の一つに入れている。こうして普段聞く事の無い二人の本心を聞けて、なんだか心が高揚していた。私が発言したことによって、二人の考えに変化が起きているんだ。それならば、拓也だって、
「ところで、スープそろそろ出来たんじゃないか?」
「ちょっと待って!」
 ヒコが立ち上がろうとするから、思わず押し留めてしまった。
「何?」
「いや、あの、せっかくだから、拓也のことも知りたいなと思って」
 三人のうち二人のことが分かったんだから、当然あともう一人のことも知りたいでしょう。
 そう主張をしてもおかしくないと思うのだけれど、なぜだか妙に心臓が跳ね上がる。頬が熱を帯びてきた。そんな自分を感じ、つい弱気になって、うかがうようにヒコの顔をのぞき見る。ヒコは口元だけでにやりと笑っていて、それを見て、反射的にしまったと思った。
「ジンの前世のことと、今後の考え。どっちを聞きたい?」
「……両方」
 その言葉に、声に出してヒコが笑う。うわー、なんだろう、この敗北感。
 悔しそうに睨み付けていると、ヒコはようやく笑うのを止め、それから真面目な顔になった。
「ジンはな、俺たちとはまた違う立場にいたから。子飼いだったから、キョエンの斎場に対する思い入れが強いんだよ」
「子飼い?」
 聞き慣れない言葉だったので、口に出して言ってみた。ヒコは真面目な表情を崩さず、うんとうなずく。
「さっきも言ったとおり、術士の能力っていうのは、幼少期に大抵顕れるんだ。斎場は、そんな彼らを指導する機関にもなっている。サイムジンは元々、行商人の子供でさ、旅の途中で親に死なれて、自分も餓死寸前のところで他の行商人に拾われたって言っていた。普通はそのまま下働きで死ぬまでこき使われるんだけれど、術士としての能力が高かったんで、斎場に預けられた。で、そのまま修行を積んで、次代の玉を造る選抜チームに就任。最下層からトップクラスへの、立身出世物語ってやつ。結局罪人の濡れ衣着せられて殺されるわけだけれど、だからこそ、奴が一番「玉の造り手」の今後の建て直しも、真剣に考えているんだよな」
「それぞれ、激しい人生送っていたんだね」
 しみじみと呟いてから、つい黙り込んでしまった。
 さっき拓也を見ているうちに心に浮かんだ言葉は、「一緒に帰ろう」。でもそれは結局言い出すことなく、自分から誤魔化して終わらせてしまった。私は前世で、どこまで拓也に踏み込んでいけたんだろう。それが分からないから、思い出せないから、こうして彼の周りでぐるぐるしている。
 けれど、これは拓也に対してだけじゃない。ヒコにだって、そして美幸にだって、肝心のところで遠慮している自分がいる。それにもかかわらず、さっきみたいに変なところで地雷踏んで怒らせちゃったりして。
「なんで、思い出さないのかな」
 つい口に出してしまい、はっとした。ここで落ち込んでも駄目でしょうよ、自分。
「辛いとこだな」
 決して聞き流さず、でも敢えて軽い口調を保ったまま、ヒコが言う。
「……面倒見良いね、ヒコ」
「妹二人いるんだよ。現世でさ、小学生の双子の姉妹。今一番手間掛かる時期で、両親共稼ぎだから、俺もそれなりに面倒見ているし」
 そんな説明にくすりと笑う。そう言えば、前世のことだけじゃない。現世でのこともあんまり話したことなかったな。これから先の地形とか気候とか補給はどうするとか、馬の扱い。そんなことばかりだった気がする。
「ヒコは、お兄ちゃん気質?」
「でも面倒くさがりだから、基本は放任主義。だからこれ以上は、前世について教えない」
「うん」
「けどまあ、最後に一つだけ話してやる」
 軽く伸びをしながら、ヒコが立ち上がる。
「根っからのお嬢様でやたらに気位の高いエシゲだったけれどさ、アクタだけは気にせずナムニって呼んでいたし、エシゲもそれを容認していた。多分、エシゲにしてみれば唯一の友達だったんじゃないか、アクタは」
 新たな情報を与えられ、はじけるようにヒコを見上げる。ヒコはそんな私に向かってにやりと微笑んだ。
「あとはもう、二人の問題。腹減ったし、飯にしよう」
 そう宣言すると、前方からやって来る三人に向かい、ヒコが手を振る。
「早く来ないと、先に食っちまうぞー」
 チャイグがそれに応える様に一声吠え、駆けてきた。

 夕飯も済んで、今はもう就寝の時間。
 荷台の中、いつものように積荷をならして簡易の寝台を作り上げる。シングルベッド二人分の余裕なんて、ある訳が無い。セミダブルにも満たないスペースに、二人で背を向けて寝ている。ランプを消してしまうと、人口の明かりが何一つ無いこの場所は、すっかり闇に閉ざされてしまっていた。
 背中越しに気配を窺い、美幸がまだ寝ていないことを確かめると、私はそっと彼女に呼びかける。
「美幸、さっきはごめん」
 それに対する返答は、無し。沈黙が、私に重くのしかかる。居たたまれなくて、でも身動きすることも憚られて、いい加減泣きたくなってきた時に、美幸の声がぽつりとした。
「一方的に責めたのは、私の方だから。真子が謝る必要なんて、無いよ」
「でも、嫌な事思い出しちゃったんでしょ? 私が余分なこと言ったから」
「それは仕方無いことだよ。真子、思い出して無いんだし」
「だから早く思い出せ、なんでしょ?」
「だから」
 珍しく美幸の声が苛立つように大きくなって、思わずびくりとした途端、彼女の息が吐き出された。
「ごめんなさい。私が先に謝るべきだった」
 え? 何、その台詞。
 およそ美幸らしからぬその発言に、上半身を起こしてしまった。美幸は相変わらず身じろぎ一つせず、私に背を向けたまま。闇の中、見えるわけでもないのにそのままじっと見つめていたら、また、ぽつりぽつりと言葉が返ってきた。
「勝手に自分が苛立っていただけだから。真子に八つ当たりしていた。それなのに、今も先に真子に謝ってもらっているし。……ごめん、気にしないで」
 何に対して苛立っているのか、そして私の質問の何が地雷だったのか。美幸の言葉からは、結局何一つ判明できなかった。けれどヒコの話から、実家絡みで色々あるのかなとぼんやりと思う。
「美幸、前世はホータンウイリクが出生地だったんだよね?」
 自ら地雷を踏もうとしていると思ったけれど、敢えて目をつむって突進してみた。いっそ本日の突っ込みおさめと言うことにしておこう。とりあえず珍しく反省を口にしている今だったら、爆発も小規模で済むかも知れないし。
「家族とか、誰か会いたい人とか、いないの?」
 また続く沈黙に、緊張する。
「……会えるのは、チャガンをキョエンに祀ってから」
 落ち着いて、静かな声。美幸が答えてくれた事にようやくほっとして、私は体を横たわらせた。
「もう寝よう。お休み」
「うん。お休み」
 緊張から解き放れた反動で、一気に眠くなる。私は直ぐに意識を手放してしまい、美幸の言葉を深く考えることをしなかった。
 なぜ、今の段階で会おうとしないのか。なぜ、会うのではなく会えると美幸は言ったのか。
 そしてその理由を、ホータンウイリクに着いてから知ることになる。