遠い記憶

3.鳥の章


その7


「イーシィじゃあ、無いの?」
 気の抜けたようにつぶやいて、それから事の重大さに思い至り、はっとする。
 イーシィを知っていて、なおかつこんな技を使う人。ってことは、この鳥を使役しているのはどう考えても術士。今一番出会ったらまずい相手でしょ。
 心の中で冷や汗を流し、何か解決策は無いかと拓也を横目で見る。けれど拓也は鳥を凝視したまま動かなかった。眉を寄せ、何かを思い出そうとしているみたい。一方の鳥も無言のまま何をするでもなく、ただ素直に見つめられている。奇妙な沈黙が流れた後、拓也がそっと確かめるように鳥に話しかけた。
「あなたは、ジョエか?」
 鳥は肯定するようにうなずくと、言葉を返してきた。
「玉を探して旅をする術士の方々が、オボ山へ向かって来たとの知らせを受けております。その方たちが、十八年前にキョエンで処刑された『玉の造り手』の生まれ変わりだという話も。
 私の名をご存知ということは、ナムニ様と同じく、『玉の造り手』であった方ということでしょうか」
 静かな問い掛け。それに答えるためか、拓也がすっと姿勢を正し、鳥を正面から見据える。
「確かに。私の名は、サイムジン・ハング。そして彼女は、アクタ・ケレイトア。キョエンでポンボ・ナムニと共に玉造りにたずさわっておりました。そして今、転生をし、ポンボ・ナムニや他の仲間たちと共に旅をしています」
 その名乗りに鳥は満足そうにくぅと鳴くと、大きく羽を広げた。そして翼を一振りする。
「え?」
 まるで手品を見ているみたい。次の瞬間、鳥の姿は消えて、代わりに女性が現れた。薄手の布地を幾重にも巻き付けたような民族衣装。それはここホータンウイリクでよくみかける服。けれどその布地の柔らかな質感や細やかな刺繍の飾りは、シャータやイーシィの衣装でしかお目にかかれないような上等なものだった。
「このような場所でナムニ様を知る方にお会いできるとは、思いもよりませんでした」
 そう言うと、彼女は地面に額をつけ、私達に向かい深々と礼をする。優雅な仕草につい見とれていると、ゆっくりと面が上げられた。シャータの持つ怜悧な印象を無くし、イーシィに落ち着きを足して両者を混ぜ合わせたような女性。その顔立ちから、エシゲ家に縁がある人物と見て取れた。
「仮の姿でのご対面、失礼いたします。どうぞお許し下さいませ」
 そう言うと、こちらを見てにこりと笑う。その笑顔の素敵さに、くらりと来てしまった。年齢は、シャータと同じかそれより幾つかは上なんだろう。けれど年下でなおかつ同性の私から見ても、可愛いと言い切れる。あの姉妹にしろこの人にしろ、エシゲ家って魅力的な美人ばかりだ。
「あのエシゲ、エシゲ・ポンボ・ナムニを知っているということは、ジョエ様もポンボ職だったのですか?」
 正座して正面から彼女を捉えると、どきどきしながら尋ねてみた。自分でもどうかと思う舞い上がったその聞き方に、楽しそうに笑われてしまう。
「様付けはおやめ下さい。ただジョエとお呼びいただければ」
「え、だって」
「私はポンボ様方にお使えするものです。ナムニ様に見出され、導かれ、ホータンウイリク宮にこの身を置かせて頂きました。そして今の私の主は、イーシィ様にございます」
 シャータの命に従い、私たちを軟禁し監視した術士達を思い出す。イーシィの知らないところで働いていた彼ら。けれど術士達の全員がイーシィを裏切ったわけではないんだ。エシゲ一族らしく身分の高そうなこの女性が、どこまで一般の術士と同じなのかは分からない。それでもナムニを知っているジョエが、ここにいる。このことだけで、ほっとした。
 とはいえ、なぜよりによってこの場所なのか、そこはちょっと気になる点だけれど。
「ジョエが鳥になってまでここに来たのはなぜなんですか? イーシィに、私たちを探すように命じられたとか?」
「あ」
 問い掛けにジョエは小さく声をあげ、思わずといった様子で口に手を当てる。
「イーシィ様、ここに気が付いていらっしゃったのですね」
 って、あれ?
 後ろめたそうなその表情。なんとなくやらかしちゃった感が漂うこの雰囲気。こちらもなんと言って良いか分からず押し黙る。けどジョエのこの反応、絶対に単独行動だよね。
 ちらりと拓也を見上げると、困った表情で腕組みをして、同じように彼女を見つめていた。名乗る前からジョエのことを知っていた拓也。何も分かっていない私に比べて遥かに今、彼女について色んなことを考えていそうだ。
 拓也は目線を合わせるよう、私たちと同じく地面に座り込むと、彼女に向かって問いかけた。
「ジョエ、最後にイーシィに会ったのはどのくらい前ですか?」
 一応遠慮してか丁寧な聞き方はしているけど、明らかに説教前の問い正しだ。ジョエもそれが分かるのか、どこか視線が泳いでいる。
「四、五日ほど前に」
「それから会わなかったのは、なぜ?」
「なんとなく、こちらの方面が気になりましたの。すぐに行って戻るつもりだったのですが、その前に他の場所も見て回ろうかと思い立ちまして、つい」
「ジョエ」
 はぁとため息をつきながら、低く拓也が呼びかける。いや、拓也というよりサイムジンか。
「あなたのいない間に私達はシャータに軟禁され、その見張り役として術士達が駆りだされました。そしてあの宮殿の中、イーシィは味方となる術士もおらず独りで己の役割を果たそうと奮闘しています。この地域すべてを気にかけるのは、あなたの重要な仕事だ。だが足元の宮殿を、あなたの主を蔑ろにするのは問題ではないですか」
「……確かに、その通りでございます」
 すっかり萎縮してしまったジョエが、うなだれた。
 確かに拓也の言っていることは正論だ。でも明らかに年上の女性に、この態度。なんだか収まり悪くて、見ているこちらの方がおたおたとしてしまう。前世のときの年齢とか、私には良く分からない身分差とか色んな要因があるんだろうけど、このまま責め続けっていうのもなぁ。
「あの、宮殿を留守した代わりにこの近辺を視察していたんですよね? それなら北に何があるのかもう把握済みなんだし、それはそれで良かったんじゃないかと。ね?」
 なんとかフォローをしようと、最後の「ね?」で拓也に同意を求めてみる。けれど拓也の反応を待つより先、なぜかジョエから返事があった。
「それがまだ、北の方面だけ視察が残っておりまして」
「なんでーっ?」
 なぜ最初の目標を先にクリアしないんだ、この人は!
 びっくりして叫ぶと、ジョエはさらに身を小さくし、うかがう様にこちらを見上げた。
「ここまで来て思ったのですが、私が行くのは良くない気がするのです」
 良くない気って、理由になるのかそれ?
 突っ込むつもりで口を開いたけれど、隣で拓也がうなずくのが見えて中途半端に止まってしまった。
「確かに、ジョエでは駄目ですね」
 単に事実を言っただけ。そんな口調だったけれど、余計に意味が分からなくて聞き返す。
「どういうこと?」
 拓也は目線でジョエを指し示すと、私に解説をしてくれた。
「ジョエは目立つんだよ。下手に力があるものだから、それを押さえ切れない。真子だってこの鳥の群れの中で、すぐにジョエを見つけ出しただろう? 術士の力を持たない真子ですら分かってしまうんだ。これでは、気配を隠そうとするような相手を見つけることなど出来ない。それどころか逆に警戒心を抱かせてしまう」
 拓也の言葉を受け、ジョエが困ったように微笑む。
「元々私、自分の力を操作することはしないのです。それはイーシィ様にお任せすることでして」
 つまりこんな可愛らしい見た目とは裏腹の、術士としては力で押し切るパワー系。
 それならば、寄り道なんかしてないでさっさとイーシィの元に帰ってあげれば良かったのに。とちらりと思ったけれど、言葉に出さずに飲み込んだ。この人にそんなことを言っても、無駄のような気がする。パワー系に追加して、いわゆる天然系というやつだ。
 拓也は仕方ないと言うように肩をすくめるとジョエと向き合った。
「エシゲ家以外からの依頼は、掟を破くことになるのかもしれない。が、術士としてお願いをしたいのです。私の力だけで何かを成すことは難しい。ジョエ、あなたの力を私に貸してもらえますか」
 真っ直ぐに、真剣な顔でジョエを見つめる拓也。対するジョエは迷う素振りもなく、あっさりとうなずく。
「あなた方の依頼は私にとって、ナムニ様の命令と同じこと。私の力でよければいくらでもお貸し致しましょう」
 そして右手を一振りさせると、ジョエはふいに私の方へ視線を動かした。
「アクタ様、この羽根をサイムジン様へお渡し下さいませ」
 いつの間に、ジョエの右手には小さな羽根が握られている。白くて軽い、鳥の羽根。私はそっとそれを受け取ると、両手に乗せて拓也に渡した。拓也がそれを受け取ったところで、ジョエが使い方を教えてくれる。
「その羽根は、私の力を具現化したものです。その羽根を飲み込むことによって、私の力はあなた方のものとなる」
「感謝致します」
 一礼をしてそう言うと、拓也は羽根を飲み込んだ。そしてそのままうつむいて、動かなくなってしまう。不安になって声をかけたかったけれど、ジョエは表情も変えずに拓也を見つめるだけだ。私もただ黙って見ているしかなかった。
 そしてしばらくして、ふいに拓也は顔を上げると私に話しかけた。
「荷物を、預かっていて」
 普通すぎるその依頼に、一瞬反応が遅れてしまう。けれど拓也は私が理解するのを待つことなく、両手を大きく振りかざした。その途端に拓也の姿が消え、代わりに一羽の鳥が現れる。
「え、拓也?」
「これから偵察に行ってくる。ジョエ、アクタを頼みます」
「はい。お気を付けて」
 鳥は自分の体を確かめるようにゆっくりと翼を広げると、数度羽ばたきをした。そして側でくつろいでいた鳥の群れに向かって促すようにくうと鳴くと、一斉に羽ばたき飛び立ってゆく。拓也と思しき鳥はあっという間に群れに溶け込み、空へと消えていってしまった。

「行っちゃった……」
 なんだか現実に起こったこととは思えなくて、鳥達の去っていった方向を見つめ、呟いてしまう。
 拓也、あんなことまで出来たんだ。
「素晴らしい能力をお持ちですね、サイムジン様」
 その言葉に、反射的に彼女を見る。自分の驚きを別の角度から言われたような気持ちだった。
「ジョエも、そう思います?」
「はい。さすが『玉の造り手』の方は違うと思いました」
「そうなんだ」
 ジョエの言い方が本当に心のこもったものだったので、逆にこちらは間の抜けた反応になってしまった。
 確かに言葉を伝えるのがやっとのエッガイから比べると、拓也の出来ることって色々バリエーションに富んでいる。でも他のみんなもあんな感じだから、比較の仕様が無い。
 そんな私のぼやけた表情に何かを悟ったのだろう。ジョエは小さく微笑んで言葉を足してくれた。
「サイムジン様はキョエンの出で、彼の地の玉を扱い、彼の地の気を自身に取り込んでおられます。そんな方がホータンウイリクの気を、私の力を取り込み、あまつさえこの短時間でご自分の力として鳥に変わるまでしてみせた。並みの術士の出来ることではございません」
「キョエンの、気」
 繰り返して、昨日の宮殿から街へ出た直後の自分を思い出す。いつもの拓也の力じゃなく、イーシィの力を借りて移動した。たったそれだけのことなのに、初めて移動を体験したときのように立ちくらみがしたんだ。あれは異質なものを受け入れるため、自然と自分の気が消耗されたから。それを考えると、ようやく実感として拓也の能力の高さが分かってくる。消耗どころかジョエの力を自分のものにしてしまった拓也は、凄いとしか言いようが無い。
「でも」
 そこまで理解して、疑問に思う。
「力を取り込むってそんなに簡単なものではないのに、ずいぶんと気軽に羽根を渡しましたよね」
 そうっとって感じで尋ねたら、ジョエは一瞬意外そうな顔をして、それからまた微笑んだ。
「どうなるかご存知の上で、ご要望されていたようなので。それに、ナムニ様と同じく『玉の造り手』で、転生されてまでこちらに来た方ですから。力を取り込むことくらい出来ないはずがないでしょうし」
 そう分析しつつも、実際の拓也を見て驚いたんだ。それってなんだか、
「試されていたみたいだ」
 つぶやいたら、ジョエの微笑がまた一段と深くなった。これってどう考えても、肯定の意味だよね。
「あー、もうっ。やっぱりエシゲ家は油断がならない」
「まあ、どうしましょう」
 警戒心たっぷりにジョエを見ていたら、堪えきれないようにくすくすと笑われてしまった。
「私はただ単に見極めをしただけですよ。決してサイムジン様やアクタ様に危害を加えることはございません」
「それは、ナムニの仲間だからですよね」
「それもありますが」
 ジョエはくすくす笑いを止めると、真っ直ぐなまなざしで私を見返した。
「キョエンの玉を取り戻すため行動を起こされている方々を、協力こそすれ妨害することなど考えられません。アクタ様やサイムジン様がされていることは、この世界を救うことですもの」
 当たり前のようにそう言われ、一瞬にして胸が詰まってしまう。
 ケレイト族の雨乞いの祭りで、そして旅を続ける道中で、この世界を救う術士として人々の思いを受け止めてきた。けれどここホータンウイリクに入ってからは、それ以外のことに気を取られ、つい忘れてしまいそうになっていたんだ。この人は思惑に満ちたあの宮殿の中で、どうやってこんなにも真っ直ぐな目を持って過ごしていられたのだろう。
「あの、ジョエはポンボ職だった時のシャータにも使えていたんですよね。苛められたりとか、しませんでしたか? あと、ナムニも正直、結構きつかったんじゃないですか?」
「どうしたんですか、突然に」
「いや、なんとなく、そう思って……」
 ジョエの真っ直ぐさに感動した途端、あそこの歴代ポンボ職を思い返してとっさに聞いていた。でもこれって、すっごい失礼なことしているな、自分。そしてついでに、どれだけあそこの一族に歪んだイメージ持っているんだ、自分。
「シャータ様もナムニ様も、私にとてもよくしてくださいました」
 その言葉に慌てて見返すと、ジョエの表情が懐かしそうな、柔らかな表情へと変わっていた。
「本当に?」
「確かにそれぞれのご性格というものがございますけれど、それは表現の仕方が違うというだけのお話ですし。ナムニ様、シャータ様、そして歴代のポンボ職の方々どなたもが、使命感と情熱をもってこの地の気を鎮めていらっしゃいました。そしてもちろん、それを引き継いだイーシィ様も。だからこそ、私がここにいる。ただ……」
 ジョエは視線を彷徨わせると、まるで自分の考えに浸るようにぽつりと言った。
「些細な何かを、忘れているような気がするのです。失くし物をしたはずなのに、それが何でいつ失くしたのかが思い出せないような」
「失くし物?」
 ポンボ職の話から失くし物に繋がる道筋が分かない。話についてゆけずに聞き返すと、ジョエは我に返ったようにはっとした。
「すみません。余計な話をしてしまいました」
 そこで気持ちを切り替えたのか、楽しそうに私に向かって微笑んだ。
「そういえば、アクタ様のお話も、うかがったことがございます。キョエンにいるナムニ様がシャータ様に送られた書簡に、珍しく日々の生活とご友人の名が書かれておりました。それがアクタ様でした」
「ナムニが、アクタのことを」
 他人事のように呟いて、またいつもの引け目が頭をもたげてきた。こうして前世の出来事を懐かしく語ってくれる人がいる。それなのに、私は相変わらずナムニの顔も思い出せていない。
「アクタ様?」
 呼びかけられ、びくりと体が震える。なんだか息が詰まる感じがした。
「お願いなんですが、真子って呼んでもらえませんか。今の名前なんです」
「真子様?」
「様は、いらないです。私、前世のことあんまりよく覚えていなくて、術も全然使えないし。だから、ただの真子で」
 早口でまくし立てて、上目遣いでジョエを見る。彼女の目には、私はどんな風に映っているんだろう。術士の能力がまるで無い、平凡な私のことが。
「大丈夫ですよ。まだ目覚めていないだけです」
「目覚め、ですか」
 ジョエはゆっくりうなずくと、私の頬をそっと撫でた。
「あなたの中のアクタは、まだ眠っている状態です。けれど目覚めは必ず訪れる。だから、大丈夫」
 大丈夫。大丈夫。
 女性の手だからだろうか。小さい頃、そうやって抱きしめられたことを思い出した。延長保育の帰り道、パパのお店へと連れて帰ってくれたお姉さん。けれどその思い出はすぐに新しいものへと変わってゆく。
 大丈夫だから。
 耳元でそう囁く声がよみがえる。
「拓也、は?」
 偵察に行った拓也は、今どうしているのだろう。自分の傍に彼がいないことを実感し、寂しさが急に募る。北の方向を遠く見やったけれど、もちろん何か見えるわけでもない。
「サイムジン様のこと、心配ですか?」
「あ、えーっと、……はい」
 尋ねるジョエの声がゆったりとしているから、自分の落ち着きの無さを自覚して恥ずかしくなる。初対面の割りに私、この人に甘えている。
 ジョエはそんな私を面白そうに眺めると、言った。
「あの羽根は、私の力を具現化したもの。サイムジン様と私は、今繋がっている状態です。鳥がどこにいて何を見ているのか、真子にも伝えますね」
 そして私の手をきゅっと握り締める。
「うわっ」
 途端に自分の目の前に、空と大地が広がった。視点が今の位置よりずいぶんと高い。まるで空から眺めているような、って
「鳥の、目だ」
 視野のそこかしこに、翼を広げ羽ばたく仲間達がいる。拓也が上手く群れの編成に紛れている証拠だ。私はそのまま黙り込むと、ジョエが伝えてくれる景色に集中した。左手には山脈。右手には平原が広がる大地。どこにも人の気配はしない。ただ雄大な景色が広がるだけ。けれど、何か違う。
 目の前に広がっているというのに、どうにも現実味が感じられず、心がざわつく。まるで精巧なミニチュアを眺めているような、そんな気分だ。
「やはり、おかしいですね」
 ジョエの言葉に声もなくうなづく。今なら分かる。イーシィの、拓也の、ジョエの言っていた違和感というものが。
 どうすることも出来ずにただその景色を眺めていたけれど、少しずつ少しずつ、自分の中の緊張感が高まってきた。何か次に起こる気がする。
「サイムジン様が、歪みに針を刺そうとしています」
「どういう意味」
 聞き返した瞬間、鳥が大きく羽ばたいた。
 風を切る音が耳元で鳴り響き、その途端風が舞って鳥の群れが翻弄される。まるでめまいを起こしたかのように景色が渦巻き、次に大地に見慣れぬ影を認めた。
 いくつもの班を作り、馬を集めて世話をしている兵士達。十は下らない馬車の荷台やその規模から、百二、三十人程はいるのだろう。行商隊とは違う、明らかに軍隊であるのが見て取れる。彼らの服や意匠はこの世界に来て初めて見るもので、何か異質なものを感じさせた。
 どこの地域の兵隊なのか、なぜここにいるのか。疑問をジョエにぶつける直前に繋がれていた彼女の手がびくりと震え、つぶやく声が聞こえた。
「あれは、エルムダウリ……!」
 緊迫し、動揺が感じられるその口調。けれどジョエにその理由を聞き返す間もなく、鳥の視線は部隊の一箇所に引き寄せられた。
 荷台が集められたその中央。そこで全体を見渡す兵士が一名。多分ここの隊長なのだろう。他の兵士たちとは違い、派手な赤いマントを身に付けている。彼の姿を認めた途端、それに気付いたように本人が顔を上げた。
 まずい。
 ぞくりとする。何か良くない予感が沸き起こる。急旋回をする鳥の群れ。けれどそれよりも先、男は手に持っていた弓をつがえ、無造作にそれを引き絞った。
 こちらに向かい、真っ直ぐに走る矢。見る見る間に近付いて、近付いて、
「拓也っ!」
 衝撃で視界がぶれて、まるで自分に当たったかのようだったのに、その瞬間元の場所の景色に戻っていた。
「サイムジン様を戻します。真子、離れて!」
 ジョエの言葉と同時に、鳥が宙から現れる。傷付けないよう、ゆっくりと下ろされる鳥の姿に息を呑んだ。
 鳥は力なく片翼を広げ、あえいでいる。その羽根に突き刺さっているのは、さっきの弓矢。
「拓也!」
「触らないで!」
 ジョエの悲鳴のような声が聞こえたけれど、その言葉を理解するよりも早く、私は矢に手を伸ばしていた。
 一刻も早く、この矢を抜かなくては。ただひたすら拓也の身を案じ、弓矢を握り締めた瞬間、また視界が反転した。

 さっきの場所、荷台の中央に男が立っている。弓を射終えた男は真っ直ぐこちらを見て、私の視線を感じると、にいっと笑った。
 鳥の視点はあくまでも空からで、どんなに引き寄せられていようと男とは距離がある。そのはずなのに男のその顔立ちも何もかも、私の目に鮮明に映っていた。
 険しい目付き、獰猛な口元。まるで狼のようなその表情にふさわしく、男の顔立ちは彫が深く、体付きも大柄で、髪も金髪だ。こちらに来て初めて見る人種。西の大陸の、エルムダウリの人間なのだと納得した。
 男は私の視線を受け止めたまま、ゆっくりと口を開いた。
「その矢には、呪が掛けてある」
「呪……?」
 声は明確に、私の心に響く。
「俺の名は、アエスティイ・ウェルカッシウェラウヌス・アルウェルニ。この名をしかと、その魂に刻み込め」
「アエスティイ……」
「真子っ!」
 ふいに耳元で、拓也の叫ぶ声がした。