ヴァイキング・シップ
序章/Skuldelev/Roar Ege - プロジェクト/Skuldelev3/Skuldelev3の建造の材料/造船
序章
おそらくトールの槌「ニョッニル」は北欧神話の象徴になっていると思われ、多くの人たちにはニョッニルの描写が少なくとも神話に結びついている。船がヴァイキング時代に入り込み文化全体に結びついた時に、象徴でなくとも、少なくともこの時代には非常に重要であった。ヴァイキング時代は船なしに決して物事が起こらなかった。自国外への遠征、交易といったヴァイキング達の旅は船が無かったり、航海術がなければ出来なかった。
最も有名な船のいくつかはノルウェイ起源のゴクスタド船とオセベルグ船である。オセベルグ船は800年初期のおそらく最も古いものである。ゴクスタドは800年後期もしくは10世紀初期にさかのぼる。
このレクチャーではデンマークのロスキレ産出のSkuldelev船に焦点をあてます。これらは「実際に」使用されたと思われる船であるために興味深い。上記に言及したノルウェイ船は王や女王といった高い身分の者達のための生活、もしくは葬儀用の船として使用されたと思われている。これらの船は働く人々の日々の生活に使用されたものではない。しかしSkuldelev産出のより我々に親しみ深い 船を取り上げましょう。たくさんの研究と実験をなされた「Skuldelev3」という船の一つに焦点をあてます。
Skuldelev
1957〜62年にロスキレフィヨルドの港のSkuldelevの海底の泥で発見された。この船はNo.1、2、3、5、6とそれぞれ付けられている。その理由はNo.4の船の存在が信じられてたがそれがNo.2の一部と後で考古学者によって判ったためである。それゆえにNo.4の船についての情報を探す時に困惑しないように。それは存在しないのだから。ヴァイキング時代の人々が異なった船のタイプを述べているので、考古学者にこれらの船を発見してもらいたいと願っています。No.1とNo.3は「貨物船」であり、他のものとは非常に異なり、おそらく「ヴァイキング船」という言葉とはかけ離れている。これらの2船は実験にもとづく考古学とこの分野からの再現のテーマである。特にSkuldelev3、それからSkuldelev2、5と取り上げる。これらの船は戦船である。Skuldelev2は非常に状態が悪く、28〜29メートルの長さ、幅4メートルである。高い部分の外板は失われているが、ここには7隻以上の「小舟」が両舷にあった。櫂の穴は両側それぞれに20〜25個ほどがあり、この船のクルーは40〜50名と思われる。Skudelev5は17.4メートルの長さ、幅2.6メートルの船である。オール穴は全てで24個で、高い部分の外板の外側に楯がとりつけられていた。以上、これら2船についての事柄です。
少しSkuldelev1に目を向け、次にSkuldelev3に移りましょう。この船の再現はノルウェイでなされ、1983年にこの復元船はSaga Siglarと名付けられ、公開されている。この船について基本的な情報は以下である。16.3メートルの長さ、幅4.5メートルである。船底から船の両側の外板の最も高い場所とキールからそこまでの深さは4メートルである。船の両側は12枚の板で作られている。船は頑丈で、船の内側の構造は印象的であると専門家はさらに言及している。Sluldelev船はほとんどがオークで作られ、木製釘は松と柳が使用されている。しかしトネリコ、カンバ、ブナもまた存在する。Skuldelev1とSkuldelev6はデンマーク国外で造船されたと信じられている。その理由はこれらに使用された松の寸法と大きさからである。単にその時代にデンマークで大きな松がなかったのである。
Roar Ege - プロジェクト
1982年の3月24日にRoar Egeの主なグループが全プロジェクトの最終の「概要」をたてた。このグループは考古学に詳しい専門家、考古学者とさまざまな分野の人たちである。Roar Egeの作業グループは一流の船大工であった。このプロジェクトの「親方」は建築家と2つの大工のグループで、このグループの残りは様々な種類の生徒であった。「ヴァイキング船制作者」として熟練した彼らに作られたということは、それ以前の「ヴァイキング船プロジェクト」のメンバーであったということの証拠である。重要なことは作業クルーのメンバーが斧といった「古代」の道具の使用に慣れていたことである。メンバーの数は男性7人女性4名の計11人である。造船の間によりたくさんの人々がたずさわったと思われる。造船は1982年の秋に始まり、1984年の夏に完了した。しかしRoar Egeが進水以前に、たくさんの作業が行われた。これについてレクチャーで語ります。
Skuldelev3
Skuldelev3に移しましょう。このレクチャーのこの部分の間に、船の再現に使用された木とその他の材料についてより多くを語りましょう。さらにそれに使用された道具、たくさんのそれ以上の事柄について語りましょう。最初にSkuldelev3の再現の製作についての背景についてちょっと語りましょう。元々の発見された船の断片は写真に撮られている。全ての断片は「紙」などに置き換えられ、それでパズルを行った。後にその船の小さな復元が木で行われた。形が簡単に作られた。どのように古代の船大工が作業したかを具体化する時に、さらに後の伝統(ヴァイキング船の「子孫」)からの経験は役に立つ源と思われる。Skuldelev3についての元々の情報は以下である。この船は13.8メートルの長さで、幅3.5メートルである。キールから最も高い外板までは1.6メートルの高さである。Skuldelev船に使用された木の種類についてちょっと語りましょう。この船はほとんどがオークだけで作られている。わずかな部分はカンバで作られており、270個の木製釘が柳で作られている。元々のキールはカンバで作られているが、再現ではキールはオークで作られた。使用された材料を詳しくみることに重要性がある。
Skuldelev3の建造の材料
木の種類と木材
1000年前のヴァイキング船を再現する時に、作業グループはその行程の初期段階で問題がおこる。問題は同じサイズのオーク材を見つけることで、オーク材は長く大きなものを意味する。ヴァイキング時代のオークの木は多くの部分で使用された。すでにのその時に見つかっている役に立つオークの木には一つの問題があった。問題の一つは使える木材を手に入れることである。多くのオークの木は今日は庭園やそのような所を飾るものとして植えられており、それは所有者にとってお金がかかっている。例えば、木材自体の腐敗、「失敗」のために城の庭園に植えられている古く素晴らしいオークの木を切り倒し、削る。これはもちろん古い木々の悲しき無駄を意味し、「粗悪な」木を使用することは製作過程において莫大な問題を意味することが後に判る。
切断、木を切り倒すことはヴァイキング時代の斧で行われ、作業グループはまた斧を使用したが、これは後に述べましょう。斧での切り倒しは次の結果をもたらした。直径70cmのサイズのオークは切り倒すのに2時間以上かかった。その経験と比較して、他のオークは根から掘り起こされた。これは木の先の重要な枝のためになされた。これは船のフレームを作るために使用されるが、一般的には「枝先」は地面にたたきつけられ粉砕される。先端を粉砕させないために木を掘る作業に30時間であった。この経験から、木が倒される時に粉砕する枝先の問題が残った。この問題の解決は木を登ることによって解決された。使用する木片を選別する。枝を切りそれから木を切り倒すと、地面にたたきつけられる時に枝先は粉砕されなかった。スウェーデンの古い本では枝先から役に立つ木材を扱うこの特別な方法が述べられている。さらにそこには古い図があり、その技術が示されている。最後に、木を切り倒し、形を大まかに整え、水に浸していることが示されている。これは木を柔らかくしなやかに、作業を容易にするために行われた。さらに木材をしばらく水に浸すのは、簡単に乾燥でひびが入らなくするためである。
木の種類と木材についての多くの事柄は、少し後のその先の木材の取り扱いで扱います。その他の造船の時に重要となる鉄という材料に目を向けましょう。
鉄と釘の作製
鉄はヴァイキング時代の造船において重要であった。それはまたSkuldelev3のヴァイキング船大工にとっても重要であった。”縫い止められた”船の外板の例があり、この船は鉄の釘で止められていた。元々の遺物を研究した時に、大釘と釘は水中に非常に長い間あったために朽ち果てており、木には釘の跡しか残されておらず、それは釘と大釘を再現するには十分であった。その結果、釘を知ることが出来た。直径6〜7mmで、6mmの厚さで、基本的には8cmの長さで、もちろん必要に応じ様々なものがあった。その船には2000本の釘が全て手作業で作られた。製作には現代の設備と現代の技術が使用され、実際にはそれらは大きくは違ってはなかった。その後に現代の装置が使われたことは全体としてそのプロジェクトの楽しみを阻害した。
道具、装置、船の作製
Skuldelev3の復元の目的と目標はヴァイキング時代の同じ道具での作製、作業方法であった。オリジナルの船を研究すること、元々の道具からの形跡を研究することを始めた。この試み、他の船の知識からの比較、道具は古代に使用された道具の姿を描くことを可能にした。以下の道具が使用されたと専門家は信じている。
3種の異なった斧
2種のカンナ
異なった種のドリル数本
ナイフ、ノミ数本、槌、棍棒、楔数本。
それから考古学者は装備と他の船との比較により、すでに彼らが知っていた道具の「不足リスト」を作成した。
その道具に目を向け、その道具を使用してみましょう。ある事柄は道具の使用の形跡であるが、それは実際の発見物からである。ある非常に重要な発見物はゴトランドの荒野で発見された「Mastemyrbox」である。その箱には造船に使用された様々な道具の数々が含まれていた。この箱から16個の道具は造船に役に立つものである。
4種の斧(Skuldelev3でもこれらのうち3つが発見されている)
3種のカンナ
6つの様々なサイズのドリル
1本のナイフ
1本のノミ
1つの船を釘を止めるための特別な槌
これらの中から3つはSkuldelevでも知られている。さらに、ノコギリが発見されている。最後にこの箱には槌、釘を作るための道具といった鍛冶のために使用された道具の多数含まれていた。一見すると、この道具箱は船大工の箱のように映る。多くの半仕上げの道具がそこから発見されているために、それはおそらく鉄作業もしくは道具鍛冶の箱であろう。デンマークでは多くの道具が発見されている。多種の斧、ドリル、カンナ、その他の造船のための道具が代表される。
有名なバイユータペストリーもまた非常に重要である。ここに実際の当時の造船作業が図解されている。タペストリーは1070〜80年にさかのぼり、北欧のものではないが、情報源として使うことができる。船大工は北欧の子孫で、造船の伝統と信じられているからである。タペストリーを詳しく見て、専門家は以下の道具を書き留めた。
3種の斧
1つの特別な種類のカンナ。飾り用。
1つのドリル
1つの板を止めるための釘を打つための槌
最後に、Skuldelevの作業クルーはこの道具のリストを見本にし、特別な斧に興味を示した。Skuldelev3で使用された道具のその部分を述べましょう。斧の名はデンマーク語で書き留めます。
1種のfセldeソkse(木を切り倒す斧)
1種のtソmmerソkse(この斧の簡単な複製品が再現された。この類の他の斧が使用された。それは現代のドイツの斧で、それがこれに似ていた)
1種のbredbil(長い斧頭のある特殊な斧。ヘデビィで発見された斧の復元品。これはまたこのプロジェクトのために作られた)
1種のstikソkse(実際には斧ではない、大きく長いノミによりちかい。この複製品もまた復元された)
1種のskarソkse(Mastemyrboxで見つかった斧の複製品)
1種のカンナ(カナダで発見された北欧のカンナの複製品)
2種の特殊なカンナ
4種の様々なサイズのドリル。6.5mm、22mm、25mm、38mm。
ナイフ数種
ノミ数種(元々のノミのいくつかは後の時代に使われたノミに非常に似ている。Roar Egeのクルーは現代のノミを使用することを決めた)。
1種の船に釘を打つための特別な槌。
木製棍棒(ヴァイキング時代から木製の棍棒は残されていないが、棍棒は鉄器時代にまでさかのぼり、発見されている)
これらの道具はさておき、その他の多くの道具と測る道具が使用された。ここでは鍛冶のための道具だけを言及します。
デンマークでは鍛冶に使用された様々な道具が発見されいる。再度、「mastemyrbox」はその道具で我々の手助けとなる。その箱には、かなとこ、槌、ヤスリなど、その他のものが含まれていた。それらの道具のいくつかがSkuldelevで使用された。
かなとこ(プロジェクトではヴァイキング時代のものより大きな現代のかなとこを使用)
3種の槌(全ての3つはMastemyrboxのものに類似)
釘の製造のための道具(一つがmastemyrboxで見つかったこの道具のモデルが完璧に残されていた)
考古学者はどのようにヴァイキング船大工が作業したかの考えを知るために後の造船の伝統の研究もしたことを以前に言及しております。特にノルウェイの伝統的なボートの方法はRoar Egeのグループによってなぞられた。その造船の方法で、Roar Egeを作るときに、直接的に復元することは出来ない、作業方法を比較していくつかの場所で得られると専門家はコメントしている。
木の作業について語る時に、ノコにも言及されるであろう。造船のプロジェクトにおける実際の興味深いことの一つはノコの跡がないという事実である。これは単にヴァイキング船大工が斧(もしくはナイフ)だけで作業することを選んだと思われる。この理由はヴァイキング達が新鮮な「湿った」木を使い、乾燥した木は使用しなかったという事実に結びつくと思われる。専門家はこの方法を非常に詳しく検証し、古代の船大工はその方法を知っていたと思われる。湿った木の使用、斧の使用、ノコギリの不使用で、より柔軟でしなやかさを生み出し、より強い船を作り出した。このことから今日は、歴史上において後にこの類の方法が消滅したことが奇妙に映るであろう。斧の使用(ノコの代わりに)方法は後に述べましょう。
Roar Egeの作業クルーには疑問があった。彼らはヴァイキング時代と同じような道具でRoar Egeを作成したのであろうか?いくつかの場合においてはオリジナルの道具の複製で作られた。斧やドリルである。槌、いくつかのノミ、いくつかの斧とった他の道具は現代のもので、適切な形のものが使用された。述べたように古代の造船の道具によって作られたのであるが、彼らは100%のできではないと一般的に専門家は結論づけている。またヴァイキングの技術と道具は現代の「ヴァイキング」よりいいと彼らは悟っている。
造船
すでに木の切り倒し、いわゆる「湿った木材の技術」について述べてきました。またこの理由によりヴァイキング時代の船大工は造船の時に斧を利用した。これは木を切り倒した後に起こる。造船の方法と実用的な方法は語るのには非常に困難で、いくつかのコメントによって多くの図解が伴われ、どのようにRoar Egeがどのように作られたかを述べることができると思う。
切る時に、木の幹を分ける時に特殊な技術が使われた。Roar Egeクルーは木の幹を切り分ける特別な方法、今日の我々が行わない技術を知っていた。少しの情報源から見つけられる。数枚の図解は実際の使用においてどんな技術であったかを示すことができる。この図解は1787年にさかのぼるドイツ人の描写からである。いくつかの情報はどのように作業クルーが船の板を取り扱ったかのこれらの写真につけ加えることが出来る。「横側の厚手の外板」(約2.5cmの厚さ)が仕上げられた。4〜5メートルの外板が両舷に1〜3時間以内に仕上げることができることをクルーは経験した。さらに1本の幹から、16枚の外板が切り出される。「bredbilen」 斧はこの作業の道具の都合良いものであった。ノコの使用は木全体の使用にはよいもので、斧の使用は外板がよりよく、より強いものになることを意味するという事実を他の経験は語る。
他の技術はより大きな外板への使用である。その外板は船の両舷の最も高い場所に付けられた。これは異なる技術を我々に教えてくれる。この技術を使用することはそれぞれの木から2倍の大きさの2枚の板だけが作り出されることである。(莫大な木材の無駄はこの技術に含まれている)。他の言及された技術は16枚(そしてある場合においてはそれ以上)産出するものである。数枚の図は印象を与えることができる。
このことを知るために、船の製作を調べることを選ぶことができる。少しの構造における一般的な事柄、包括的な見解を示す試みについて述べましょう。これは基本的な船体、帆、ロープ、その他の事柄を含みます。
船の最初の部分はキールである。Skuldelev3の元々のキールは十分に完全ではなく、再現で、9メートルのキールが作られた。キールの2つの「異なった」ものが作られた。というのは最初のものは木で「間違って」仕上げられたもので、このキールを使用するにはあまりにも危険であった。それから新しく、専門家に従って、よりよいキールが作られ、舳先、船尾が作られ、取り付けられた。Skuldelevの舳先はは十分に完成した。Roar Egeプロジェクト用の舳先と船尾は(元々の部分のために)一つの幹からそれぞれ切り出されることが推測される。問題はこの作業のための莫大に木を見つけだすことと考古学者は言及している。それは可能である。幹の基本的な大きさは4メートルの長さで直径70cmのものが使用される。
それから舳先と船尾がキールを通じてつなげられた時に、船の横側の製作に移る。最初の5枚の外板(両側)が船底から作られる。船のこの部分は喫水以下である。ここで数枚の写真が詳細を示し、図解が造船のこの最初の行程を示す。例えば、最初の「外板」は10メートルの長さ、28〜32cmの幅の木の板で作り上げられる。外板の作り上げの行程全体の間、ある種の計量棒が常に用いられ、船の形を調整し、それぞれの外板の適切な場所にと整えられた。その他の数個の道具が適切な位置に外板を保つために使用された。(これらの図柄がそのいい考えを示してくれる)。
すでに言及しているように5番目の外板で船底が作られている。次の段階は船の内側の骨組みの「フレーム」である。すでにご承知のように、フレームは木の先端の木で切り出されている。先端の木はこの大きさにすでに育っているものである。(これらの図を参照)。全てのフレームは(全てで13本)柳の釘で組止められる。
フレームの上に「固め」の興味深い組立は正しい位置にフレームを保つために使用され、それからはめる。(より詳しくは図を参照)。そしてこの作業方法はヴァイキング船を作ることで、その大工達は特殊なもの、もしくは少なくとも異なったもので、すでに述べているように、「フレーム」と「フレーム組み」は最後のこととして組み入れられ、全体的に「通常の」造船と逆である。
ここから移り、舵輪、オール、碇について述べましょう。
Skuldelev3の舵輪
舵輪はSkuldelev3には残されていなかったので、考古学者は舵輪を作る時に、他の道を取った。他の発見物はモデルとして使用された。Roar Egeの舵輪はオークで作られている。(この形と最終復元の数枚の図と写真を参照)。
Skuldelev3のオール
実際に古代からのオールが多く残っている。その他の有名なデンマークの船の5世紀からの一組のオールがある。ニダム船である。ゴクスタドとオセベルグの両船において、オールの完全な組が発見されている。ニダム船はそれより400年もさかのぼると言われ、全長24メートルの長さというそれ以上の少しの情報を示す。15組のオールが使用された。これらのオールは3〜3.5メートルの長さで、オークと松で作られている。それからオセベルグは30個のオールが船と共に発見された。3〜4メートルの様々な長さであった。これらのオールは(その長さゆえに)元々この船のものではないと思われている。このオールのために使用された木は松である。ゴクスタドでは32個のオールが発見されている。5〜6メートルの長さである。これらのオールは松から作られ、元々この船のものであると思われている。Roar Egeプロジェクトのための非常に重要な発見物はSkuldelev船に関連して発見されたオールの断片である。これを用い、船(オール穴など)から計算し専門家はこの船のための新しいオールを作り出した。材料にこぶし大のはんの木が 使用されたが、それは弱いと判った。オールは簡単にそぎ割れ、壊れた。それから第二に、最後の試みとして、オールは松で作られた。それぞれが4.2メートルに決められた。
Skuldelev3の碇
ヴァイキング時代と中世時代から多くの碇が発見されている。全ての碇はわずかな部分が木製の鉄から作られている。デンマークでは碇はリーベとヘデビィで発見されている。さらに前に述べたニダム船の碇が残されているが、1864年のデンマークとドイツの戦争の間にそれは失われた。オセベルグ船もまた碇があり、大きさと重さから元々のその船の碇ではないと思われている。Roar Egeのために作られた碇は1メートルの長さで幅62cmであると判明した。さらに碇は28kgの重さであった。過去からいくつかの船の碇について多くがある。
Skuldelev3とRoar Egeの帆柱と帆
Skuldelev3帆柱と帆は全く残されていない。古代からの帆について語ると、実際には一かけらの布さえ発見されていない。いくつかのその他の興味深いことが発見されている。
1981年に帆がノルウェイで発見された。この帆は100〜150年前のものである。初見では現代のヴァイキング達にとって興味を引かないものであったが、そこにはそれ以上のことがあった。帆は他の船で発見された布きれに他のものが非常に類似し、17世紀にさかのぼる。この船についての多くの事柄を知らないが、興味深い事実はこの船はヴァイキング時代後期、中世初期にまでさかのぼる。なぜであるか?興味深い点は、2つの布きれの比較である。(それらの一つは帆として知られている)。他の布きれのはまた帆であったと信じることを彼らは選んだ。もちろん、専門家はヴァイキング時代後期へさかのぼる船の帆の布きれかどうか判らないが、Roar Egeの帆のための新しい帆の作成の行程において役に立つ情報である。
帆の複製はノルウェイの特殊な羊の羊毛から作られている。帆の作成の行程において、現代の技術が少しの部分において使用された。その他の点で、帆は「パイオニア」の小さなグループによって織られ、彼らは1983〜1984年の数カ月で帆の製作に関わった。
Skuldelev3の帆柱
Skuldelev3索具と帆柱はまさに帆のごとく残されていないが、いくつかの跡、役に立つ索具の復元の試みで見つけだされた。Roar Egeプロジェクトの考古学者に大きな疑問があった。船のこれらの部分の復元が可能かどうか?可能性は「研究」と結びついている。これらの問題を伴う作業の方法は、いくつかの事柄を述べることができる。専門家はいわば2つのグループにと分けられる。ヴァイキング時代から残されている船の「絵」は帆の復元の源としてあてになり、役にたつ。ゴトランドの絵画石碑について述べる時、そこには多くの船を見て取ることができる。索具と帆の正確な復元として信用が置かれ、もしくはあらゆる決定的な重要なことがあると信じられている絵画石碑を(手荒く)示さない者達がほかにいる。復元もしくは少なくとも絵画石碑から連想される船が作られることは面白いと思う。これらの調査から実際の航行能力を試すことで、索具や帆の構造が完璧ではなかったことがこれらの研究で思われた。絵画石碑の船の索具は本物でなく、古代の船大工が作った実際の方法ではないとの考えが強調されている。さらに非常に新しい船を見ることは、索具などに大きく相違があるとも示している。
Roar Egeの帆柱と索具はいわば多くの「方法」で作り出された。船の最も高い板の上に、ロープからの穴(帆を引っ張るために使用された)が見つかっている。この知識と帆柱の位置についての知識は帆柱と索具の長さの形をつくる時の役に立つ情報である。最後の結果は以下となる。帆柱は10メートルで帆桁7.1メートルである。帆は約6メートルの長さでほとんど7メートルの長さと判ったと言及されている。
どのように帆柱が作られたか?再度、方法はノルウェイの造船の伝統で発見された。帆柱には松が適しており、役に立つと判った。それから全ての枝と樹皮が切り出される。この全てが行われる前に、木は切り倒される。「むき出し」の木が1年間置かれる。この年の間に、油とタールで保存され、これらの事柄全ては帆柱を強化し防腐剤になる。それから一年後に切り出され、さらに作業される。
Roar Egeは北欧の古代からの船の航行能力を経験するために作られた。Roar Egeはこの類の最初のものではない。少なくとも10隻以上の船が造船されている。Roar Egeはそれら全てのプロジェクトの中で最も深く厳しいものであり、それらの中では最も経費がかかっている。100万デンマーククローネ(約1800万円)がこのプロジェクトに寄付された。この船は1984年に完成したが、そのプロジェクトは完了していない。船のテストはまだ今日も続けられている。さらに1997年に莫大なレポートが出版された。英語でも最終レポートはRoar Egeプロジェクトの以下のものである。私は英語で書かれ以下の資料を挙げることでこのレクチャーを絞めたいと思います。
参考文献
D.M Watermann: Late Saxon, Viking and early Medival finds from York. Oxford 1959
Crumlin Pedersen: Aspects of Viking Age shipbuilding. Journal of Danish archeology.
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