注:かなり昔に作ったもので、かなりいい加減に作っているので、固有名詞などかなりいい加減なカタカナ表記になっているのでご注意ください・・・。固有名詞は一応は古アイスランド語のテキストから拾い出しはしていますが、カタカナ表記は・・・。信じないように・・・。

 聖オーラヴがスティクラスタデルで殺害されたその時、ハラルドは未熟ながら戦に参加していた。彼はその戦いで負傷し、聖オーラヴが殺害され、命の危険があると知ると戦場を後にした。彼らは追われる身となりこそこそと逃亡の旅を続けた。ラグンヴァルド・ブルースソンは人里離れた農夫のもとへハラルドを送り届けた。そしてハラルドはその農場で傷が癒えるまで留まり、その後に彼は農夫の息子を道案内として東に向かった。ハラルドはスウェーデンにたどり着き、そこで再びラグンヴァルド・ブルースソンやそれ以外の戦から逃げ仰せた者達と合流した。
 翌春、彼らは船でヤロスラウ賢公のいるガルダリーキへ向かった。ヤロスラウ賢公は彼らを歓迎した。ハラルドはラグンヴァルドの息子のエイリーヴと共に国防軍の首領になった。ハラルドはガルダリーキに数年滞在した後にバルト海に向かい、その後にギリシャに向かった。この時、彼には多くの軍勢が従っていた。ハラルドは大帝国であったビザンチン帝国・コンスタンチノープルに向かった。北欧人達はそこを「ミクラガルド(大きな都)」と称したのである。当時、ビザンチン帝国は多くの外国人傭兵を雇っており、特に皇帝の親衛隊としてヴァイキングやルーシが仕えることが多かった。彼は昔のルーシとは異なり、通商目的ではなく外国人傭兵としてビザンツに向かったのである。
 その当時、ビザンツ帝国は女帝ゾエと夫のミカエル・カタラクトゥスが統治していた。ハラルドはゾエに仕えることになった。その秋、すぐに船団で任務に就いた。その軍団の首領は女帝の親族でギリシャ人のギルゲであった。ハラルドはヴェーリング(ヴァリャーグ、ヴァランギアンともいうが、ここは北欧風にヴェーリング)の首領であった。ギルゲとハラルドの軍勢はギリシャの島々を襲撃してたくさんの者を手に入れた。
 ある日のことである、森で夜営をすることになった。まずヴェーリング軍が高台のいい地形に天幕を張ろうとした。そこへギルゲがやってきた。
「どけどけ、この田舎もんめが。この洗練されたギリシャ人に場所を開けろ。」とギルゲが言った。
「俺達の方が早かった。お前らがどこかへゆけ。」とハラルドが言い返した。
一触触発の事態になったので、賢明な者達が仲を割った。
「こうしてはどうでしょうか。くじを引くのです。それでどちらがこの連合軍の総大将を決めるのです。」
こうしてくじ引きが段取られた。ハラルドとギルゲがそれぞれくじに印を付け、白く広げられた布の布に入れ、引かれたくじの印が当たりである。ギルゲがくじに印を付けている所へハラルドが近づいて話しかけた。
「どれ、両者ともに同じくじの印を付けては話にならん。お前のくじの印を見せろ。その印と違うものを俺は書くぞ。」とハラルドは言いながらギルゲの印をのぞき込んだ。
そして2つのくじが布の上に撒かれた。そしてくじを引く者がくじを引いた。するとすぐにハラルドはその者からくじを取り上げて海へ投げ込んだ。
「ヴェーリング軍の勝利だ。」とハラルドが叫んだ。
「なにをするんだ。ばか者。皆に見せぬか。」とギルゲが叫んだ。
「なに残っているはずれくじを見ればわかるだろう。」とハラルドが言い返した。
「あ、そうか、えーっと、残っているのは、げ、私のものではないか。」
賢い皆様はお気づきだと思うが、ハラルドはギルゲと同じ印をくじにつけたのである。間抜けなギルゲはこのトリックに気付かなかったのである。こうしてヴェーリング軍は何をするにもギリシャ軍の先をゆくことになった。
 ハラルドはこれ以外にも策略をめぐらした。負け戦には参加せず、ギリシャ軍だけで戦わせ、勝ち戦には参加した。こうして全勝のハラルドの伝説を作り上げたのである。ハラルドはヴェーリング軍を引き連れ、ラテンの国々、小アジアや来たアフリカ、シシリー島で活躍という名の襲撃を行ったのである。ハラルドはこうして数年間アフリカで過ごし、たくさんの戦利品を手に入れた。彼はその戦利品を信頼のおけるヤロスラウ賢公に預けるために送り出した。彼はこうして80の要塞都市を落としたと言われている。
 ハラルドが活躍した伝説的なお話がある。シシリーの要塞都市を落とそうと向かった時である。城壁は強固でどうみても落とせそうになかった。するとハラルドは家来に命令し、城壁内に巣を作っている小鳥をたくさん捕獲させた。そしてあろうことかその小鳥の背中に蝋と木切れを引っ着け、火を付けて放したのである。動物保護団体も真っ青である。背中に火がついた小鳥はヒナのいる巣に戻ろうと城壁に戻っていった。すると城壁内の藁葺き屋根に鳥の背中から火がどんどんと点火されたのである。こうして町中に火がつき、ついには陥落したのである。
 第二の伝説の戦いがある。ここもまた強固な城壁があった。町の周りには平らな空き地があった。そして小川が流れていた。ハラルドは土手に穴を掘らせた。そこは城壁からは死角になっていたので、町からはヴェーリング軍の動きは見えなかった。彼らはどんどん掘った。帆って帆って堀まくった。掘り起こされた土は小川に放り込み、水の流れがそれを片づけてくれた。しかしずっとヴェーリング軍の姿が見えないとなると町の者はあやしむため、彼らは軍を分けて、一つは弓で町の城壁に攻撃に、一つは穴堀りにと分担して作業し続けた。どんどん穴を掘ってついには石畳みの館の真下にまで辿りついたのである。んなあほな。そして床がぶち抜けた。そこは広間でたくさんの者達が食事を取っていた。あまりに突然の出来事に飲食をしていた者達はろくに逆らうことができずに征服され、そして館を制覇したヴェーリングはそこから城門へ向かい、解放した。そこから一気にヴェーリング軍がなだれ込み、こうして町は征服されたのである。
 第三の伝説の戦いがある。この城壁の周りは堀がめぐらせれていた。そう簡単には落とすことができないのは明白であった。しかしこの城壁都市はそれゆえに油断していたのである。ヴェーリング軍が陥落することはできないと思いこみ、城門を解放していたのである。そこへマントの下に剣と隠し、帽子の下に兜を隠したヴェーリング軍がふざけてのほほんと鬼ごっこをしていた。要塞都市の番人はのんきにしていた。明らかに番人が油断しているとみるとヴェーリング軍は武器を引き抜いて開口した城門へ突撃した。すぐに番人も迎え打ったのであるが、油断していたこともあり城門は落とされ、ついには町まで落とされたのである。
 第四の伝説の戦いがある。これは難攻不落の要塞都市であると思われた。ヴェーリング軍は城塞都市を兵糧責めにしようとして外からの物資を全て遮断した。そして通日間にらみ合いが続いた。そうしている間にハラルドが病に陥った。そしてついには息を引き取ったのである。そしてこれは要塞都市の者達にも知れることとなった。指揮官を失ったヴェーリング軍はせめて主の葬儀を行って欲しいと城壁内の聖職者に会うことを要求した。それは執り行われた。聖職者達と話し合いが持たれ、ついにハラルドの葬儀が合意されたのである。なぜかというと亡骸を受け入れた教会はハラルドの財産を手に入れることができたからである。スケベ心まるだしである。ヴェーリング軍がハラルドの棺を抱えて城壁に向かい、ハラルド棺が城門をくぐった。その時である、合図の笛が鳴った。それと同時にヴェーリング軍は皆武器を抜いたのである。そして城壁内で衝突が起こり、ここも陥落したのである。こうしてハラルドは数々の戦いで索をめぐらし、陥落し、たくさんの戦利品を手に入れたのである。
 ハラルドはこんな旅を数年続け、一旦、コンスタンチノープルに戻り、そこからエルサレムへ向かった。ハラルドはパレスチナに向かい、無傷で征したと言われている。それからヨルダンに向かい、パレスチナ聖地巡礼者がいつも入浴していた場所で入浴した。ハラルドはキリストの墓と聖十字架、それ以外のパレスチナの聖物にたくさん寄付を行った。ハラルドはヨルダンまでの道を解放し、盗賊や悪人を退治したと言われている。そして再びコンスタンチノープルに戻ったのであった。
 ハラルドはコンスタンチノープルに戻ってすぐに甥のマグヌスがノルウェイとデンマーク王になったことを耳にした。これを聞くといても立ってもおられず、ノルウェイに戻りたいと欲したのであった。彼はビザンツ皇帝に仕えることから引退しようとした。これを知った女帝ゾエはハラルドを引き留めるためにあれやこれやと索を練り、ついには牢屋にぶちこんだのである。
「やれやれ、女帝様は俺の虜だ。俺を閉じこめてまで留めて置こうとする。やれやれ俺をビザンツ皇帝にするつもりかなぁ。」
とあれやこれやと勝手な憶測をした。なんでハラルドがこんな勘違いをしたかというと、彼は以前にゾエの親族の若い美女のマリアに求婚したが、女帝に拒まれたからである。
 ハラルドが牢屋に閉じこめられてしばらくした時、ハラルドの目前に義兄弟の聖オーラヴが現れ、彼を助けると言ったのであった。牢屋は天上が明いていたが壁は高く塔になっていた。次の日、高い塔の上に1人の女性と2人の男が現れた。彼女たちは綱をハラルドに向かって垂れ下げた。閉じこめられたヴェーリング達とハラルドはその綱を伝ってよじ登り逃げ出したのである。助けた女は以前、聖オーラヴの奇跡により傷が癒えたものであった。そして彼女の前に聖オーラヴが現れ、ハラルドを助けるように命じたということである。ハラルドはすぐさまヴェーリング軍のいる場所へ向かい、彼らと合流し、その足で皇帝の寝所へ向かった。彼らは皇帝を捕らえて両目をえぐり取ったと言われている。そしてその後、ハラルドはマリアの寝所に向かった。いやがる彼女を無理矢理連れ去った。彼らは金角湾に浮かぶ船に向かった。2艘の船に乗り込んだ。この当時、コンスタンチノープルをイスラーム海軍から守るために金角湾には鎖が張られていた。ところどこにブイをつけて沈まないようにしていたという話である。この鎖があるため、船は侵入、もしくは外に出ることができなかった。しかしハラルドとヴェーリング軍は無茶苦茶な方法でこの鎖を制覇したのである。まず鎖に向かって全速力で漕ぎつっこんだ。鎖にひっかかったかと思うと、直ぐにハラルドは家来達に船尾に向かい船尾を重くして船首を持ち上げるようにと命じた。船首が鎖を乗り越え、鎖が船の中間ぐらいにまできた時、ハラルドは再び船首に全員が行き、船尾を浮かすように命じた。ハラルドが乗り込んだ船は無傷であったが、もう一隻は後方が鎖で破壊され、船上の者達は海に投げ出された。数名の者達はハラルドの船に引き上げられ助けられたが、数名の者は海中へと消えたのであった。この後、ハラルドの船は黒海へ入っていった。そかしここでハラルドは船を陸に着け、マリアを下ろし、数名の従者を与え、コンスタンチノープルに戻るように言った。実に踏んだり蹴ったりのマリアである。
 こうしてハラルドご一行はヤロスラウ賢公のいるガルダリーキに到着した。彼は賢公の歓迎ともてなしで冬を過ごした。彼はここで以前に賢公に預けていた莫大な財宝の数々を手に入れた。ハラルドは財宝の他、宝物を手に入れた。それはヤロスラウ賢公の娘のエリザベスである。彼女は北欧人達にはエルリシヴと呼ばれていた。春になると彼らはスウェーデンに向かった。そこでハラルドはマグヌス王に破れたスヴェイン・ウールヴソンと出会った。彼らは互いに出会いを歓迎した。彼らは友好関係を結んだ。スヴェインはスウェーデンで親族が多かったのでハラルドはそのつてでスウェーデン人の援助を多く受けられることになった。
 ハラルドとスヴェインは船と軍団を整えた。彼らはこうしてデンマークに向かい、襲撃した。デンマークの至る所を襲撃し、荒らしたのであった。この秋、マグヌス善王はノルウェイに向かった。彼はおじのハラルドがスウェーデンに入り、スヴェイン・ウールヴソンと同盟を結び、デンマークとノルウェイを征服しようとしていると耳にした。そしてこの同盟軍がデンマークの至る所を荒らしていることも耳にした。マグヌス善王は賢者達の助言で、ハラルドと戦うことは後々災いとなると悟り、彼と折り合いを着けようと決心した。マグヌス善王はこの事を伝えるためにデンマーク陣の使者にこの大役を命じた。マグヌス善王はハラルドと国を等分し、共同統治することを提案したのであった。
 ある夕暮れのことである。ハラルドとスヴェインが酒を飲んでいた。スヴェインはハラルドに訊ねた。
「お前のお宝はなんだ。」
「この軍旗だ。」とハラルドは軍旗を指さした。
それは「国を荒らすもの」という軍旗で、白地に鴉が描かれていたのである。
「なんとまぁ、ショボイ宝だな。」とスヴェインが言ってしまった。
「この軍旗に続く者は必ず勝利を収める。俺はこの軍旗のお陰で常勝だ。」とハラルドは言い返した。
「ふーん。ならばどうだ、マグヌスと3戦3勝すればその価値を認めてやっていいぞ。」とスヴェインが言った。
「お前はマグヌスと俺に血のつながりがることを判って言っているんだな。」とハラルドはスヴェインの挑発に乗ってしまった。
ハラルドが激怒し、スヴェインを罵り、自らの船に休息を取るために向かった。ハラルドは睡眠と取ろうとした時に奴隷を呼び寄せてしっかりと見張るように命じた。スヴェインが裏切ることは目に見えていたからであった。ハラルドはいつも寝ている寝床に丸太を置き、いつもと違う場所で眠りに就いた。夜も更けた頃、一隻の小舟がハラルドの船に近づいたかと思うと、1人の男が船に乗り込んだ。夜盗は天幕を切り裂くと大斧をハラルドの寝床に打ち下ろしたのである。この後、あと夜盗はすぐに小舟に乗り込んで逃げ去ったのであった。ハラルドはスヴェインの裏切りとみるやいなや家来を起こし、すぐさま出発した。彼らはマグヌス善王と合流するまで旅を休めなかった。そして彼らは出会った。互いに歓迎しあったのであった。
 マグヌス善王は上陸して天幕を張った。そこへハラルドが招かれて食事を取りに来た。ハラルドは60名の家来を連れて来た。その宴の席でマグヌス善王は最下位の者から剣、盾、鎧、兜、黄金と次々に与えた。そしてより身分の高い者にはよりよい贈り物を贈った。最後におじのハラルドの前に立った。その時、彼は2本の棒を手にしていた。
「さてどちらの棒を取られますか。」とマグヌス善王が言った。
「そうだな、俺に近い方だ。」とハラルドが答えた。
「この棒により権利、税、財産、ノルウェイの半分を譲りましょう。この約束事によって私と貴殿は同じ立場でノルウェイ全土の王になりました。しかし挨拶やそれ以外の儀式、着席では私から座らせて頂きます。もし3名の王が同じ場所にいることになれば、私が中心に座ります。私が王の波止場と取ります。そして貴殿はノルウェイを守り、発展させなくてはなりません。我が目が黒い内に類まれなる王をこの私が生み出すのであるから。」とマグヌス善王が言った。
ハラルドは立ち上がって、この約束に感謝したのであった。
 翌朝、マグヌス善王はシングを開催した。シングで彼はハラルドに王の称号を与えた。この日、王となったハラルドはマグヌス善王を食事に招待した。マグヌス善王は60名の家来を連れてハラルドの天幕に向かった。ご馳走が振る舞われ、招かれた者達とハラルド達は陽気に過ごしていた。ハラルド王はたくさんの袋を天幕に運び込ませた。そして彼はたくさんの高価な物をマグヌス善王の家来達に振る舞った。その後に彼は袋を解いてマグヌス善王に言った。
「昨日、お前から王国を譲り受けた。これはそのお礼だ。この黄金は苦労して俺が手に入れたものだ。2人で国を分けたようにこの苦労して手に入れた黄金を等分して半分やろう。」とハラルド王は言った。
ハラルドは雄牛の皮を広げさせ、その上に黄金をぶちまけた。それからはかりでかつて北欧にこれほどたくさんの黄金が一同に介したことがないと思われたほど莫大な黄金を分けたのであった。ハラルド王は実に陽気であった。少しして大きな器が運び込まれた。
「さて、マグヌスよ。この器一杯になるお前の黄金はどこにあるんだ。」とハラルドがいった。
するとマグヌス善王の顔色が変わった。
「言いにくいことなのですが、このノルウェイにはたくさんの問題とたくさんの養うべき臣民がいます。黄金はこの腕輪以外には私は所有しておりません。」とマグヌス善王は言いながらハラルド王に手渡した。
「えらくちっちゃいなぁ。デンマーク・ノルウェイを治める王の所有物とは思えんな。それに本当にそれはお前のものかぁ。」とハラルド王がばかにした。
「これは我が父が最後の別れの時に私に与えたものです。それが不当なものかどうか私にはわかりません。」とマグヌス善王が言った。
それからハラルド王が大笑いしながら言った。
「いや、それは本当にお前のものだ。それはな、ちょっとしたことなんだが、我が父「雌豚の」シグルズ王が聖オーラヴに譲り渡したものだ。」とハラルド王は言ったのであった。
 マグヌス善王とハラルド王は約束通りノルウェイを共同統治し、それぞれ宮廷を持った。その冬に彼らはオプランドに宴巡行に出た。彼らはトロンヘイムに北上し、ニダロスに入った。マグヌス善王はその時まで聖オーラヴ王の聖遺骸を守っており、年に一度、髪と爪を切りそろえていた。聖オーラヴは聖人にありがちな、死後も頭髪と爪が伸びていたのであった。これぞまさしく奇跡である。そして聖オーラヴが眠る聖堂の鍵はマグヌス善王が管理していた。そして聖オーラヴの聖遺骸によってたくさんの奇跡が起こったとも言われている。
 そしてこうしている間にも小王達の間では悪巧みが着々と進行していたのであった。スヴェイン・ウールヴソンもそうした1人である。彼はハラルドが協定を破ってノルウェイに入ったと知った。それからスヴェインはデンマークにぬか委、そこで彼は王の税を手に入れた。
 春になるとマグヌス善王とハラルド王はノルウェイ中から徴兵を行った。ある日、マグヌス王とハラルド王が同じ港に停泊することになった。そして一旦、その場を離れ、夜になって再びその港に戻ってきた。そしてこともあろうかハラルド王は約束を守らず、最初に停泊所を取ってしまったのであった。マグヌス王はそれを見てハラルド王に腹を立て、停泊所を譲るように言った。ハラルド王はごたごたを避けるために大人しく譲り渡した。そしてこんな小さな衝突は度々起こったのであった。
 マグヌス王とハラルド王はデンマークへ軍勢を連れて向かった。スヴェインはこれを聞くとすぐにいつも通りスカニアへ逃げて行った。マグヌス王とハラルド王はデンマークを征し、秋になるとユトランドに向かった。ある晩、マグヌス王が寝ていると父のオーラヴが枕元に立った。そして聖オーラヴは息子に語った。
「我が子よ、どんな運命を選ぶのだ。父と共に来るか?もしくは原罪を償うことなく悪事を働くだけ働いて大王になるのか?」
「父上の御意に従いましょう。」
「そうか、ではお前は私と共に来るのだ。」
こんな夢であった。この夢をマグヌス王は家来に伝えた。しばらくしてマグヌス王は病に陥り、ユトランド南部で留まった。そしてマグヌス王が瀕死の時に、スヴェイン・ウールヴソンに使いを送り出した。マグヌス王は死後デンマーク王国をスヴェインに譲り渡すと申し出たのであった。彼はハラルド王がノルウェイを支配し、スヴェインがノルウェイと統治するのが適当であると考えたからであった。そしてマグヌス善王は息を引き取った。多くの者達がその死をとても嘆き悲しんだと言われている。
 マグヌス善王の死後、ハラルド王は家来達とシングを行い、彼がデンマーク王になろうと考えていると打ち明けた。ハラルド王はデンマークはマグヌス善王の遺産だと考えたからである。彼は家来達に彼に従うかどうか訊ねた。その時、「太鼓腹振りの」エイナルは言った。
「他国を欲すより、まずはマグヌス閣下の亡骸を聖オーラブのいる都へ運ぶべきだと思います。」
そしてトロンド人達は帰路の準備を整え、彼らは出帆した。ハラルド王はノルウェイに戻るとすぐにシングを開催し、彼はノルウェイ全州の王として正式に認められたのであった。
 「太鼓腹振りの」エイナルはマグヌス善王の亡骸と共にニダロスに入り、聖オーラヴの聖堂のある聖クレメント教会に亡骸を運んだ。マグヌス善王は幸いなことに容姿は父に似ず、背丈は普通であったもの、男前で、綺麗な髪で見栄えは良かった。彼は名演説者で、聡明で強い意志の持ち主で、気前もよく、大戦士で、大胆で勇敢であった。彼は民の共であり、敵も友も彼の死を大変悼んだのであった。
 この秋、スヴェイン・ウールヴソンはスカニアにおり、そこからスウェーデンに向かおうとした。彼はデンマーク王の称号を諦めようとしたが、マグヌス善王の死とハラルド王軍のノルウェイの帰国を知るとすぐ、デンマークに戻る決心をした。スカニアでたくさんの人を集め、その冬にはデンマーク全土を征した。全デーン人は彼を王と認めた。そして彼のもとへマグヌス善王の兄弟のソーリはマグヌス善王の意志を伝えるためにスヴェインを訊ね、ソーリは大歓迎されたのであった。
 ハラルド王はこうして全ノルウェイを征服して1年が経った。春に彼は徴兵してユトランドに向かい、至る所を襲撃して焼き払った。この夏中、ハラルド王はデンマークの襲撃を繰り返したが、ついにデンマークは彼の手の中には落ちることはなかった。
 マグヌス善王がなくなったその冬、ハラルド王はソルベルグ・アールネソンの娘のソーラを妻とした。彼らの子供はマグヌス、オーラヴである。エルリシヴ妃との間にはマーリアとインギゲルズという娘がいた。
 スヴェイン王は全デンマークを支配してしばらくは大人しくしていた。そかし彼はある夏、軍隊を引き連れてノルウェイを脅かしに向かった。そしてハラルド王が以前にしたようにノルウェイを荒らした。その冬、スヴェイン王はハラルド王にエルヴでの会合を提案したのであった。そして会合の場所にハラルド王は軍隊を連れてやって来た。彼はスヴェイン王が船団と友にシェラン島の南に停泊していることを知った。そしてハラルド王は軍隊を解散し、農夫達には暇を与え、親衛隊と友人と地主やデーン人の近隣に住む農夫達だけ進軍した。彼らはヘデビューまで南下してこの街を焼き払った。
 この後、ハラルド王は60隻の船団で北上した。この時、スヴェイン王はハラルド王に上陸して戦うように命じたが、ハラルド王はスヴェイン王に海戦を申し込んだ。この後、ハラルドは北上した。彼らはカッテガトの島に停泊した。すると厚い霧が海上を立ちこめた。そして朝になり日が昇ると彼らは反対側に炎が燃え盛るような煌めきを目にした。それをハラルド王が目にした。
「天幕を取れ。デーン軍が我らの後を追っている。やつらの黄金の竜頭が太陽の光で輝いている。どうやらやつらの所は晴れているようだ。」とハラルド王は言った。
スヴェイン王軍は全速力でハラルド王軍を追っていた。デーン人の船とは反対にノルウェイ人の船は水を船が含み重くなっているその上にたくさんのデンマークで略奪した戦利品が多く積み込まれ重くなり、船足が遅かった。どんどんとデーン人の船は近づいてきた。そしてハラルド王は逃げ切ることができないと判ると、お得意の策を講じ、家来に向かって言った。
「板切れに戦利品を乗せて海上に浮かべるのだ。」
家来達は皆そうした。海上は穏やかで、デーン人達の家財道具がゆらゆらと海上を漂った。するとデーン人の船団は皆我先にと自らの家財道具に向かって船首を向けたのであった。
「何をやっとるか馬鹿者。ノルウェイ人、ハラルドを追うのだ。やつらの兵は少ない。この好機を逃すな。」とスヴェイン王は家来に命じた。
そしてデーン人達はしぶしぶ2度目の追撃を行った。再びノルウェイ人の船団とデーン人の船団の距離が縮まった。今度はハラルド王はモルトや小麦や酒と言った食料品を海に流させた。またまたうっかりデーン人は漂流物を取り上げることに夢中になってしまった。再び追撃が始まる。するとハラルド王は次ぎに捕虜として捕らえたデーン人達を海中に突き落とした。さすがにこれはスヴェイン王も見殺しにすることはできず、デーン人軍は仲間の救出に向かい、遂にノルウェイ人は逃げ仰せたのであった。
 ハラルド王はノルウェイに戻り、国の支配に熱心になった。彼は権力を欲し、彼のお気に入り以外には発言させないというまでになった。マグヌス善王から借地を受けていた「太鼓腹振りの」エイナルはトロンヘイムで大変な有力者であったが、ハラルド王との間に友情はほとんどなかった。彼は全トロンヘイムの農夫達の最高指導者であった。彼は法に精通しており、シングに王が出席していようとも大胆に王に対して要求を出すほど恐い物知らずであった。エイナルは農夫達の不利益になる王の要求には断固として王に逆らったのであった。そしてこんな事情から彼は身の回りに常に少部隊を置き、町に出るときも就き従わせ、特に王が町にいるときはより多くの家来を連れて出たのであった。ある時、エイナルはハラルド王が滞在する町に繰り出した。その時、500〜600名の家来を連れて8〜9隻の軍船できたと言われている。エイナルはしばらくこの町で滞在した。ある日、寄合が行われた。盗賊が捕まりその裁判であった。この物は以前はエイナルの下で働いており、彼のお気に入りであった。この事はエイナルの耳に入った。そして彼は武装して寄合に向かい、力尽くでこの者を連れだした。この後、王とエイナルの両者の友が和解するために行き来した。そして会合が段取られ、川のそばに立つ王の屋敷の演説部屋で執り行われることになった。王はわずかな家来とだけでこの中に入り、残りの家来達に部屋の周りを守らせた。王は排気口を覆い隠したので、部屋の中は暗かった。それからエイナルはその部屋に入っていった。彼は息子のエインドリザを戸口に置いて、そこで待つように言った。エイナルが暗い部屋に入ると、王の家来が彼を攻撃した。その騒動に気付いたエインドリザは部屋の中に飛び込んでいったが、彼は父と共に殺害されたのであった。農夫達は首領を失ったため、誰も王にエイナルの復讐を行おうとする者はおらず、ハラルド王は堂々と船でその町を後にしたのであった。そして彼らの亡骸はエイナルの妻のベルグリョートの手によってマグヌス善王が眠る聖オーラヴ教会に埋葬されたのであった。
 この後、農夫達の不満を知ったハラルド王の親族であり地主であるフィン・アルネソンは王にエイナル親子への補償とトロンド人達との和解を提案したのである。フィンはこのやっかいな使命を全うするための見返りと望んだ。こうしてフィン・アルネソンは有力者であるハーコン・イヴォルソンと話し合いをつけるために出発した。彼はハーコン・イヴォルソンとの会談を行った。彼はハーコン・イヴォルソンが王への蜂起を望んでいるとみると、彼を解き伏した。そしてハーコン・イヴォルソンはマグヌス善王の娘のラグンヒルドを持参金と共に彼に妻として差し出すのであれば和解しようと申し出た。
 ある日、ハーコン・イヴォルソンはハラルド王に要求するために王を訊ねた。
「これは俺が決めることではない。ラグンヒルド彼女自身が決めることだ。」とハラルド王は言った。
ハーコン・イヴォルソンはラグンヒルドに求婚した。
「じょーーーーーーだんじゃないわ。なんで私が平民のもとへ嫁がなくてはならにのよ。ああ、今、お父上が存命でおられれば・・・。きっとこんな無茶苦茶な縁組みには承諾されませんでしょう。あーーーお父上がおられれば、私はきっと白馬の王子様のもとへ嫁いだはずだわ。」と彼女は言った。
これにはさすがのハラルド王も困り果てた。そしてハーコン・イヴォルソンは口を開いた。
「なに彼女は平民に嫁ぐのではない。閣下、貴殿は私をヤールにすることだってできる。」とハラルド王に言った。
「だめだ、あそこは昔からヤールは1人だ。あおの地のヤールのオルムからその称号を取り上げることはできない。」とハラルド王は答えた。
そしてハーコン・イヴォルソンは気を悪くした。そしてフィンもまた気分を害した。彼らは王が約束を破ったと不平不満を口にしたのであった。そしてハーコン・イヴォルソンはノルウェイを去り、デンマークに向かった。彼はすぐに親族のスヴェイン王を訊ねた。王は彼を歓迎し、彼に借地を与えた。彼はバルト海ヴァイキングから国を守るためにヴァイキングのヴァン人となったのであった。しかしあるヴァイキングの退治の一件で、ハーコンはスヴェイン王から侮辱を受けて結局、彼はノルウェイに戻ったのであった。


 そしてハーコン・イヴォルソンの親族のヤールのオルムが亡くなった。ハーコンの親族と友人達は彼を歓迎した。この後、彼とハラルド王との間に和解が行われた。ハーコンはラグンヒルドを妻とし、ハラルド王はハーコンにヤールの領土と権力を与えた。こうしてハーコンはハラルド王に忠誠を誓ったのであった。
 夏になるとハラルド王は徴兵を行い、デンマークに向かった。そして襲撃するとデーン人軍が向かってきた。そしてハラルド王はカルヴ・アールナソンに上陸を命じ、デーン人軍団と戦うように命じた。しかし戦はノルウェイ軍の敗北で終わり、カルヴ・アールナソンもここで命を落とした。そしてこのことでカルヴの兄弟のフィン・アールナソンは王に対して敵意を示した。彼は王がわざとカルヴを見殺したと非難したのであった。そしてハラルド王を見殺しの一件をを否定もしなければ肯定もしなかったのであった。フィン・アールナソンはこの一件でハラルド王を信頼できず、彼はデンマークに向かった。そこでスヴェイン王の庇護の下過ごしたのであった。彼はヤールの領土を与えられ、ヴァイキングの襲撃から国を守る番人になったのであった。
 ここから少し、話がずれて聖オーラヴ王の奇跡について話が続くのである。ハラルド王の甥のリンガネスのグソルムという男がいた。彼はハラルド王に仕え、彼は賢者で王のよき友であった。彼はしばしばヴァイキング行きを行い、西方を襲撃していた。彼はたくさんの家来を抱え、彼はダブリンのマルガド・ラグンヴァルドソン王と親友であった。夏になるとマルガド王とグソルムはウェールズを襲撃してたくさんの戦利品を手に入れた。しかしこの戦利品を分ける時になるとマルガド王は全ての戦利品を手に入れようとした。王は力尽くで戦利品を分捕るか、全て蜂起して逃げるかどちらかをグソルムに迫った。マルガド王には16隻の船があり、グソルムにはたった5隻の船しかなかったため、王と戦っても勝つ見込みはないと理解し、その場は諦めた。しかし彼は諦めがつかず、王に3日間の猶予を要求した。この日、オーラヴ・ミサ(1052年7月28日)の前夜祭であった。グソルムは戦うことを決め、神と親族の聖オーラヴに祈願した。彼が勝利すれば戦利品の10分の1を聖堂に寄付すると誓った。彼は王と戦い、聖オーラヴ王の奇跡により勝利した。彼は近い通りに寄付をし、戦利品の銀からグソルムほど大きなキリスト像を作り、この十字架のキリスト像を聖オーラヴ教会に寄贈した。
 デンマークにいぢわるオヤジの伯がいた。彼にはトロンドロー出身の女使用人がいた。彼女は聖オーラヴを崇拝し、彼の聖所を神聖にしていた。しかしいぢわる伯は聖オーラヴの奇跡の数々を信じず、馬鹿にしていた。全ノルウェイ人が神聖にする日がやってきた。その日、全てのオーブンの火はつけてはいけなかった。しかしこのいぢわる伯はノルウェイ人の彼女に食事に仕度をするように命じた。彼女は泣き泣きオーブンに火をともした。彼女は聖オーラヴにいぢわる伯に罰を与えるように祈った。するとあら不思議、このいじわる伯の両目から光が消えたのである。そして彼女がオーブンに入れたパンは石に姿を変えたのであった。こうしてデンマークでも聖オーラヴのミサはいつも神聖を守られるようになったのであった。
 ヴァルランドに足が不自由な男がいた。彼はいつも膝と拳で大地を這って移動せざるをえなかった。ある日、彼は道ばたで寝ていた。彼は夢を見た。身分の高そうな男がやってきて、彼がどこにゆくのか訊ねた。彼はいくつかの町の名前を口にした。すると身分の高そうな男は言った。
「ロンドンにある聖オーラヴ教会に行きなさい。さすればお前の足は治るだろう。」
そして彼はすぐに聖オーラヴ教会を探しに出かけた。しかしロンドンにはたくさんの教会があり、誰もその教会を教えることができなかった。しばらくすると1人の男が彼の前に立ち、彼がどこに行くのか訊ねた。彼は答えると、その男は言った。
「では我ら2人で聖オーラヴ教会に参ろうとしよう。私はその道を知っている。」
それから彼らは橋を渡り、聖オーラヴ教会に向かった。そしてその教会の前までやって来た。教会の門はやや敷居が高かった。道案内した男はひょいと敷居を越えたが、足が不自由な男は転がって敷居を乗り越えなければならなかった。そして彼が敷居を転がり越えるととあら不思議、足が治ったのであった。そして彼はすぐに道案内をした男を探した。しかし彼はついにその者を見つけることができなかったのであった。
 そして話は奇跡の話からハラルド王の話に戻る。ハラルド王はオスロの東に交易町を作った。そこでには様々な商品が流れ込み、王はしばしばそこで滞在した。そこは自衛がなされていたので治安がよかった。そこはデンマークへ襲撃するにもいい地点にあった。ある夏のこと、ハラルド王は数隻の軽装船だけで、軍団を連れずにデンマークに向かった。デンマークを襲撃しているとそこへデーン人が迎え打ってきた。そしてハラルド王はリムフィヨルドに逃げ込んだ。そこでハラルド王は両岸を襲撃した。ここでもデーン人が立ち向かってきた。そしてハラルド王は船を無人島に停泊させた。そこでは水が見つからず、彼らは困り果てた。するとハラルド王は家来に蛇を捕まえるように命じた。1匹の蛇が捕まり、王はそれを火のそばに近づけた。そしてその後、蛇の尻尾に紐をつけ解放すると蛇は地中に潜り込んだ。そしてそこを掘ると水が出てきた。蛇は水のありかを知っていたのである。スヴェイン軍が近くまで来ており、ハラルド王は簡単には通り抜けることはできそうになかった。ハラルド王はなんとか逃げだし、ノルウェイに戻ったのであった。
 この冬、ハラルド王はニダロスにいた。この冬、彼は「長龍」に模倣して船を建造した。35漕手隻の巨大で、装具は立派な見事な船が出来上がった。船首と船尾共に黄金で飾られていた。そしてハラルド王はスヴェイン王に決戦を申し込むために家来を送り出した。そして彼は徴兵を行い、大軍を整えた。ハラルド王はこの軍団と共に南に向かい、エルヴに向かった。
 デーン人達はノルウェイ人の軍団がやって来たと聞いて、すぐに逃げ出した。そしてハラルド王がスヴェイン王が戦に応じず、そしてデンマークの放棄にも応じるつもりはないと知ったのであった。ハラルド王は船団と共にデンマークを襲撃した。そこへ300隻を越える船団でスヴェイン王が向かってきた。ハラルド王はすぐに船を海戦用の陣形に整列させた。スヴェイン王もまた艦隊を整列させた。ハラルド王は陣形の準備が整うとすぐに戦の笛を吹かせた。兵は一気に漕いで前進した。そして戦が始まった。戦は激しく夜通し続いた。ヤールのハーコンとその家来達は船を固定していなかったので、漕いでデーン人の船に向かった。そして彼は次々と攻撃して行ったのでデーン人達は敗走に転じた。ヤールはデーン人の後を追った。ハーコンはどんどんと船を片づけていった。ハラルド王はスヴェイン王の船に攻撃した。スヴェイン王の軍旗は地に着いた。そして船は空っぽになった。スヴェイン王の家来達はどんどんと逃げたので、ハラルド王はデーン人を追わせたがそれは容易ではなかった。それはフィヨルド中にうようよと船が散らばっていたからであった。ヤールのフィンは逃げることを望まず、捕虜として捕らえられた。王と家来対はデーン人の後を追ったが、ヤールのハーコンはちらばる船に邪魔されて動くことが叶わず、後を追わなかった。ハラルド王はデーン人達の後を追ったが、あまりそれは全うできず、戻ってきたのであった。彼はスヴェイン王の亡骸を探させたがそれは見つからなかった。しかしハラルド王はスヴェイン王は死んだとみなしたのであった。ハラルド王は自らの家来の戦死者を並べさせ、負傷者には手当を施した。そしてスヴェイン王軍の戦死者と岸に運ばせて、その地の農夫達に彼らを埋葬するために援助するように命じた。
 しかしスヴェイン王は死んでおらず、彼はシェラン島に行き、そこでデーン人の軍団と合流し、再び大きな軍隊を集結させたのであった。そして戦で捕らわれたフィン・アールナソンはハラルド王の前に連れて行かれた。
「フィンよ、また会ったな。今やお前の周りにはデーン人の親衛隊はいないぞ。我々には目の不自由なお前を連れて行かなくてはならないという厄介事だけが残った。」
「ノルウェイ人はたくさんの忌まわしきことをする。そして最悪のことはいつもお前が命じたことだ。」とヤールは答えた。
「お前はその価値に価せぬが、どうだ、俺と折り合いをつけるか。」
「卑劣なお前からはなにも受け取らぬわ。」とヤールは答えた。
「ではお前の親族のマグヌスからは和平を受けるのか。」と王は訊ねた。
ハラルド王の息子のマグヌスは船を漕いでいた。
「あんで若造が私に和平を申し出る権利を持つのだ。」とヤールが言った。
ハラルドは声を立てて笑った。それからしばらく御諮問度が続いた。それからフィンは激怒して王に罵倒を浴びせかけた。そしてヤールは折り合いをつけてしばらくは彼をそばにおいていた。しかし結局、ヤールはハラルド王に心を許さなかったので、ハラルド王は彼をスヴェイン王のもとへ行くことを許したのであった。
 ニッサの戦いのあった年の冬にハラルド王はオスロに滞在した。そしてそこで皆がヤールのハーコンがその戦で最も勇敢であったと賞賛していたことに不機嫌であった。そして秋にハーコンはウプランドに入っており、彼は冬は自らの州で過ごしていた。彼はオプランド人達に尊敬されていた。春も終わろうとしている時、またニッサの戦いのことが話題に上った。そしてある者達はヤールのハーコンを賞賛していた。そしてここではこんな噂話もでた。
「知ってるか、ヤールのハーコンはスヴェイン王を助けて岸まで連れていったんだぞ。」
その噂はハラルド王の耳に入った。そしてヤールを処刑しようと王が考えていると知った者がヤールにその事を伝えに来た。ヤールそれを聞くとすぐに民衆と共に立ち上がり、全財産をもってスウェーデンのステインケル王を訪ねた。一方、ハラルド王はその夏、トロンヘイムに戻って過ごした。秋になるとヴィクに向かった。
 その夏にヤールのハーコンは王が去った事を聞くとすぐにオプランドに戻った。そこで彼は王が来るまで過ごした。それからヤールは東のヴェルムランドに向かい、冬の間はそこに滞在した。ステインケル王はヤールにその州の支配権を認めた。冬の終わりにヤールはラウマリーキに向かった。それから彼は東のガウトランドに戻り、春はそこで過ごした。ハラルド王は冬はオスロで過ごしていた。彼はオプランド人に税を要求したが、オプランド人はヤールのハーコンが存命の限りは王には従わないと言ったため、ハラルド王はオプランドから税を手に入れることはできなかったのであった。
 その冬、使者がデンマークとノルウェイを行き来した。そしてエルヴでの両王の会合が合意された。そして春になると両王は国境地帯に向かった。そして会合が行われ、両者の不満がさらけ出された。しかし見識者達が取り仕切り、和平が結ばれた。ハラルド王がノルウェイを支配し、スヴェイン王がデンマークを統治することに同意がなされた。
 ハラルド王はその夏はヴィクにいた。彼はオプランドから税を徴収しようとした。農夫達は以前に言ったように、ヤールのハーコンが生きいる限りは王に従わないと言った。そしてヤールのハーコンは大軍団を引き連れてガウトランドに姿を現した。夏の終わりにハラルド王はコヌンガヘッラに向かい、ヴェネル湖に入っていった。そして船を下りてヤールのハーコン軍の後を追った。彼らは湿地を鋏んで向かい合って布陣を敷いた。ハラルド王軍は土手に布陣を敷いた。ハラルド王軍はまず盾の壁でハーコン軍の出方を探った。彼らは高台にいたため地形条件はよかったのであった。ヤールのハーコンはマグヌス善王が所有した軍旗を所有していた。そこにガウト人法律家のトルヴィドという男が馬にまたがってハラルド王に向かって叫んだ。
「我が軍は非常に勇敢で優秀だ。貴殿がヤールに手を上げるからこうなったのだ。反省することだな。お前達の突撃は防いでくれるわ。」と言った。
これと同時にハラルド王軍は戦の雄叫びをあげ、盾を武器でばんばんとうちならした。そしてガウト人軍も迎え打った。すると法律家の乗っていた馬が怒号に驚き、おっとっとと法律家はよろめき、彼は捨てぜりふを残して立ち去ったのであった。ハラルド王は家来達に土手から下りることを禁じていた。地形を有利にいかして戦を優位に勧めるという基本的な戦法のためである。ガウト人軍はどんどんと突撃したが、上に位置するハラルド王軍にばったばったとなぎ倒されたのであった。すぐにヤール軍は散り散りになり、暗くなった頃にはすっかり決着がついていた。そしてハラルド王は家来達にヤールのハーコンの亡骸を探させた。そしてハラルド王はヤールの軍旗だけを手に入れそれをヤールの死のしるしと考えたのであった。しかし彼らが馬一頭がやっと通れる森の小道を馬でつき進んだ時、ヤールの軍旗を持っていた家来を伏兵に槍で突き殺され、軍旗が持ち去られたのであった。
「ヤールは生きている。鎧をもてい。」とハラルド王が叫んだ。
その夜に王は船に馬で戻った。多くの者がヤールが王に復讐しにくるであろうと噂した。ハラルド王はその晩、船上で過ごした。しかしその夜は何もなく明けた。朝になると船の周りを氷が覆い、船が動けなくなっていた。
「おい、誰か氷を割れ。これじゃ動けんぞ。」とハラルド王が命じた。
家来達は氷をがりがりと壊しだした。その時、ハラルド王の息子のマグヌスは湖に最も近い所におり、川に向かって行った。そしてほとんどの氷が割られた時、1人の男が氷に向かい、血迷ったかのように氷を壊し始めた。
「絶景かな〜。さすがにすごいな〜〜。「コズラーン殺し」のハッルのやることは。」と誰かが口にした。
そしてマグヌスの船の上にいたソルモーズ・エインドリザソンが突然ハッルに襲いかかり、殺害した。彼はコズラーンの親族で、彼が殺害された時、1歳であったため今までハッル・オートリュガッソンを見たことがなかったのであった。そしてマグヌスの船は氷の障害物がなかったためすぐに船を出した。しかしハッルは王の家来であり、お気に入りであった。ハラルド王の船は氷に邪魔されて息子を追うことができなかった。そしてこれは親子の友人が仲を取り持ち、折り合いがつけ、マグヌスは父に殺害されずに済んだのであった。
 その冬、ハラルド王はラウマリーキに向かった。彼は農夫達が納税を拒否し、王に敵意を抱いていることを問題にした。彼は逆らう農夫達を捕らえ、ある者は殺害し、ある者は不具にし、ある者からは罰金を取り上げたのであった。王はその州の至る所に火をつけてとことん荒らしたのであった。この後に王はヘイズマルクでやそれ以外の土地でも同じことをした。そして農夫達はハラルド王に屈したのであった。
 マグヌス善王が死に、ニッサの戦いが行われてから15年が過ぎ、さらにハラルド王とスヴェイン王が和解するまでに2年間が要された。この後、オプランド人とハラルド王の衝突は3年半続いたのであった。
 さてここからいよいよクライマックスに突入するのである。ここからがかの有名なイングランドへの旅が始まるのである。まずはイングランドの情勢から。

ちなみに以下はハラルド苛烈王の敵サイト(おいおい)
イギリス側から詳しく紹介されている老舗サイトです。
著書の小説はイングランド側から判りやすくかかれています。
(もちろん私も購入しました)


ようこそロンドン憶良のホームページへ

 その当時、英国王はエドワード懺悔王である。エドワード懺悔王はエディスを妻にしていた。彼女は彼女はウェセックス伯ゴッドウインとスウェーデン王室のイーサとの子供である。彼女の兄弟は、マーシャ伯スウェイン(早逝)、ハロルド伯(ウェセックス伯、イングランド王)、ノーサンブリア伯トスティ、レオフィネ伯、ギルス伯である。ちなみにノーサンブリア伯トスティはジュディスを妻としており、彼女はフランダース・ボールドウィン家の出で、彼女の兄弟のボールドウィン辺境伯の娘マチルダがかのかのかのかの有名なノルマン・コンケストのノルマンディー公ウィリアムである。そして彼の妻がマチルダである。そう、マチルダとくれば「バイユーのタペストリー」である。しかし彼女の名前が由来するものの、彼女は製作などに一切関わっていないであろうというのが定説である。どうよ・・・これ。
 


すんばらしいマチルダのタペストリー
(バイユーのタペストリー)のサイト。必見!!。


Bayeux Tapestry

 さてすっかり話もずれた所で、サガに話を戻す。一部、サガと実際の歴史の資料と違う所もあろうかと思いますが、一応、スノリを尊重して(というか、調べるのがめんどう?(おい))サガに従って話を進めていくと、ある夏にハロルドはウェールズ行きのために船に乗った。しかし風向きが悪く流されてしまい、ノルマンディーにまで漂流した。彼らはその後、ルーアンに向かい、そこでウイリアム公と出会ったのであった。ウィリアム公は彼らを歓迎し、冬まで面倒を見たのであった。冬の終わり頃、彼らは宮廷で酒を酌み交わしていた。ハロルドは公の隣の高座に座って酒を飲んでいた。もう片側には公の妻が座っていた。彼女はとても美しかった。ウィリアム公の就寝は早かったが、ハロルドと公の妻は遅くまで話をしていた。そして彼女はウィリアム公が彼女とハロルドの間柄を疑い、彼女に問いつめたと彼女はハロルドに相談した。そしてハロルドはこれについて公に打ち明けた。実は彼はウィリアム公の娘を妻に欲しいと公の妻に相談していたと打ち明けたのであった。そしてこのことは快く受けとめられたのであったが、娘が若かったため、大きくなるまでその縁談は延期されたのであった。
 そして春になるとハロルドは船の準備を整えて出帆した。彼はエドワード懺悔王のいるイングランドに向かった。しかし彼は二度と妻を求めてノルマンディーに向かうことはなかったのであった。エドワード王は24年間イングランド王で、彼は1月5日にロンドンの寝床で息を引き取った。彼は聖ボール寺院に埋葬され、神聖にされた。それからゴドウィン公の息子達はイングランドで最有力者となったのであった。トスティ卿はイングランド王軍の大将になった。彼は全ての公達の中で最高地位にいた。彼の兄のハロルドはいつも宮廷におり、いつも政ごとで2番目の位にいた。彼は王の財産の全てを保管し守る役割があった。彼は王が息を引き取る時、そばにいたと言われている。そして彼は王が瀕死の時、周りにいたわずかな人を立会人として王の後継者であることを王に約束させたと言われている。そして王の崩御の後、次期王を取り決める会議が行われたが、ハロルドは証人を連れてその会議に出席し、王の地位を得たのであった。彼は聖ポール寺院で1月6日に戴冠したと言われている。皆は喜んだが、弟のトスティ卿はこれを嫌ったのであった。そして彼はハロルドに王の座を要求したが全て退けられたのであった。
 そしてハロルド王はトスティ卿の反乱を防ぐため、彼から全ての権力を奪い取った。トスティ卿はこの扱いに不満を覚え、彼はフランダースに向かったのであった。彼はそれからフリジアに向かい、そこから血族のいるスヴェイン王のいるデンマークを訪ねた。スヴェイン王の父のヤールのウールヴとトスティ卿の母イーサ(ギューザ)は兄弟であった。卿はスヴェイン王に援助を求めた。しかし彼はイングランド王と戦うことより、デンマークでの領土を手にしてそこを統治するように提案した。しかしトスティ卿はこれを受け入れず、そこを立ち去った。
 次ぎに彼はノルウェイを目指した。彼はヴィークにいたハラルド王に謁見した。そして彼は同じようにハラルド王に援助を求めた。
「しかしなぁ、それはイングランド人の問題だぁ。ノルウェイ人がイングランドの首領に従うとお思いか?我が民はイングランド人は当てならんやからと言っておるしなぁ。」とハラルド王はそっけなく答えた。
「貴殿はお忘れか。マグヌス善王が誓いに従ってイングランドを求めた事を。イングランドは彼のものなのですぞ。」とトスティ卿がいった。
「え〜、もしイングランドがマグヌスのものだというのなら、なんでマグヌスはイングランドを手に入れられなかったのだ。」
「ふむ、話を変えましょう。マグヌス善王はノルウェイはおろかデンマークまで保持していた。しかし貴殿はどうだ、ノルウェイしかもっておらんな。」tトスティ卿が煽った。
「なにをぬかす。デーン人の地なんざ俺の支配下だ。やつらの土地は俺が焼いて荒らしてやった。デーン人は俺にひれ伏しているんだ。」
「ふむ、しかし貴殿はデンマークを真に支配していない。マグヌス善王は真の意味でデンマークを支配していたとお見受けするが。しかしそのマグヌス善王もイングランドは手に入れられなかった。もし貴殿がこの戦いに援助をして、もし我らが勝利したのであれば、私はイングランドに広く関係がある。貴殿はイングランド人を味方につけることができるのですぞ。」とトスティ卿がいった。
この時、ハラルド王は話に聞き入ってしまった。
「それにですぞ、貴殿のような豪傑は今まで現れることはなかった。貴殿は実に立派な大戦士だ。いやー貴殿のような立派なお方がイングランドを手にしないとやほんっときみょーですなぁ。私は王の称号だけが欲しいのです。後は貴殿のものですぞ。」とトスティ卿は続けたのであった。
これにはさすがのハラルド王も心を動かされた。そしてついにトスティ卿の思惑通りまんまとイングランド行きに乗ったのであった。ハラルド王は全ノルウェイに伝令を送って男の半数を徴兵した。そして色々な憶測がノルウェイ中を行き交ったのであった。
「ハラルド様は立派なおかたじゃ、きっとイングランドを手に入れるじゃろうて。」
「いやいやなんのなんの。イングランドにはシングメン軍隊がいる。奴等は尖鋭部隊だ。そうは簡単には落ちないじゃろうて。シングメンは同時に2人以上の敵と戦い倒すらしいぞ。」
等という噂話が行き交ったのであった。
 そして春になって出陣しようとしていた頃、ハラルド王の元帥のウールヴが息を引き取った。そしてトスティ卿とその家来達はフランダースに向けて出帆してのであった。ハラルド王軍はソグンフィヨルドあたりで集結した。彼はニザロスから出帆する時、聖オーラヴの聖堂を訪れた。彼はその当時、聖オーラヴの亡骸を世話していたのであった。奇跡の聖人オーラヴ王はいまだに生きている当時のように髪と爪が伸びていた。そしてハラルド王は聖オーラヴの爪と髪を切りそろえた。そして彼は聖堂に鍵を閉めるとその鍵をニド川に投げ入れたのである。王は鍵をアグデネス外の海に投げ入れたという者もいる。それ以後、長らく聖オーラヴの聖堂の扉は開けられることがなかったと言われている。これは彼の死後35年目のことで、聖オーラヴは死後、この世で35年間過ごしていたというわけである。
 それからハラルド王は軍隊を合流し、出帆した。ハラルド王軍は200隻を越える艦隊を持っていたと言われている。艦隊がソルンデルに停泊していた時、王の船に乗っていたギルズという男が夢を見た。夢はこんな風である。ある島に女妖魔が片手に剣を握り、もう片手に木鉢を持っていた。そして王達の船団の船首には鷲と鴉がとまっていた。そして女妖魔は不吉な詩を歌ったのである。
 そして王の船の隣に停泊した船に乗り込んでいたソルドという男がいた。彼もまた夢を見た。ハラルド王がイングランドに向かっている情景が浮かんだ。そして戦場で今まさに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。軍勢の前線には狼にまたがる女巨人がいた。狼は人間をくわえ、その口の端から血が滴り落ちていた。そして狼が人間を平らげると、女巨人は次ぎの人間を狼の口に投げ入れ、次々と人間が投げ入れられた。そして狼が全てを平らげた時、女巨人は不吉な詩を読んだのである。
 さらにハラルド王がニザロスにいた時、聖オーラヴが枕元に立った。そして聖オーラヴもまた不吉な詩を歌った。そしてこれ以外の不吉な夢がここかしこで見られたのであった。ハラルド王はトロンヘイムから出発する時、息子のマグヌスを王に任命した。そして留守を守らせたのであった。ソルベルグの娘のソーラもまた国に残されたのであるが、エルリシヴ妃と娘のマーリーアとインゲゲルズは王に従った。ハラルド王の息子のオーラヴは父と共に出陣してのであった。
 そして王はシェトランド諸島、オークニー諸島と進んだ。そこでたくさんの家来を受け入れ、妃と娘をそこに残したのである。その後、イングランドに入り、クリーブランドで上陸した。その州は無抵抗なままに力尽くで手に入れた。その後、ハラルド王はスカルボルグに行き、そこを襲撃した。ハラルド王軍は大きな熊手に火をつけて次々と町の中に打ち込んだ。すると町は火の海と化し、多くの者を殺害した。こうしてハラルド王軍はホルデルネスに入り、そこで一戦を交えて勝利を収めたのである。
 この後、フンベルに入り、上陸した。ヤールのモルカルと彼の兄弟のヤールのワルセオフが強力な軍隊を連れてヨークまで応戦に来た。ハラルド王はその時、ウーズ川にいた。ハラルド王は土手で布陣を敷いた。川岸に布陣を敷き、さらに陸へ向かって土手にも布陣を敷いた。そして土手から内陸にかけては湿地が広がっていた。ヤールは軍隊を川岸に沿って布陣を敷いた。王の軍旗は川のそばにあった。そしてそこの隊列は厚かった。土手に向かってそれは薄くなっていた。その戦士達は尖鋭部隊であった。ヤール軍は土手に沿って下った。すると土手に布陣を敷いていたノルウェイ軍が後退した。イングランド軍はノルウェイ人が逃亡すると考え、その後を追った。モルカルの軍旗が前に出た。そしてハラルド王はイングランド軍が土手を下りて彼らに向かってくるのを目にすると、戦の笛を吹き鳴らした。そしてハラルド王は「国を荒らすもの」という軍旗を前に突き出した。ノルウェイ軍の攻撃は激しくヤール軍に多大なる損害を与えたのである。ヤール軍はすぐに敗走に転じ、湿地側にいた者達は次々と倒れ、ノルウェイ軍が湿地を行くとき、死体を踏み、足が濡れることはなかったと言われている。ヤールのモルカルはここで命を落とした。ヤールのワルセオフと逃げ延びることができた者達はヨークの町に逃げ込んだ。この戦は聖マシューの祝日の前の水曜日(1066年9月20日)であった。
 トスティ卿は遅れてイングランド入りした。彼はすぐにハラルド王軍と合流した。こうして強大な軍団が出来上がったのである。そして彼らはヨークを落とすべくスタンフォード橋に向かった。しかしこの前の戦を大勝利で収めたため、イングランド側の抵抗の望みはなかった。そしてヨークの町は1066年9月24日の日曜日に王に降伏するシングを開催すると伝えた。ヨークの町の者達はトスティ卿の要求に従って人質を差し出したのである。この勝利の夜、ハラルド王は船に戻って勝利に酔いしれていた。早朝にそのシングが町で行われた。そしてハラルド王は町の支配者に認められ、領地と権利を受け取った。
 同じ日の夜、ハロルド王は強力な軍団を連れて南から町に向かった。そして王は町の者達の悲願のもと、町に馬で入った。そしてノルウェイ軍にその情報が漏れぬように念入りに町の門を見張ったのであった。そしてこの王軍は夜の間、その町にいたのである。
 ハラルド王が朝食を取った1066年9月25日月曜日、彼は上陸の合図を吹かせた。彼は軍隊を分けたのである。3分の2を行かせ、残りを船の見張りに置いたのである。そして船の見張りには王の息子のオーラヴとオークニー諸島のヤールのポール、エルレンド、王にとって重要な者であるソルベルグ・アールナソンの息子の「黒雷鳥の」エイステインがいたのである。ハラルド王は彼を娘のマーリーアの婚約者にした。
 この日、空は晴れ渡り、気温は高かった。そしてハラルド王軍は油断していたこともありチェーンメールを身につけず、盾と兜と槍を手に、腰に剣をぶら下げて出陣した。たくさんの者達は弓も形態していた。そして彼らはのんきにも陽気であった。彼らが町に近づくと土煙が上がっているのを彼らは目にした。それは騎士が突撃してきているため舞い上がったものである。その騎士は見事な盾を手にし、白い鎧を身につけていた。王は軍隊を止めた。ハラルド王はトスティ卿を呼び寄せ、彼らが何をしたいのか訪ねた。
「彼らには見覚えがあります。彼らは貴殿に助命を受けた我が親族達です。ここはしばし様子を見て下さい。」とトスティ卿が言った。
そして近づけば近づくほど軍隊は大きくなるのであった。そして武器が煌めきそれが氷の敷布如くであった。
「これは大問題だな。まずは策を練るべきだな。」とハラルド王が言った。
「船に武器を取りに戻り、船で応戦するのが得策です。」とトスティ卿は言った。
「いや、他の策を取ろう。最速の馬3頭で船に伝令に向かわせろ。そして我らはイングランド人とここで戦うのだ。そしてできるだけ早く船に残した軍をここに向かわせるのだ。ブリードレク、軍旗「国を荒らすもの」を持つのだ。」とハラルド王が言った。
 ハラルド王は軍隊を出した。布陣は長いもので厚くはなかった。王は両翼を反り返らして円陣にした。そして盾を立てて盾壁陣形を取らせ防御壁を築いた。王はその外側におり、王の軍旗と親衛隊もそこにいた。離れた場所にトスティ卿が自軍と共にいた。彼もまた軍旗を立てていた。イングランド軍の戦法は騎士が突撃し、すぐに退くというものであった。ハラルド王はそれを知っていたためこのような陣形を築いたのである。
「最前線の者は槍を騎士の胸に向かって立てろ。それで騎士の突撃を防ぐのだ。そして弓で攻撃しろ。2列目は馬の胸に向けて槍を向けるのだ。」とハラルド王が言った。そう言いながらハラルド王は馬でぐるぐる回りながら兵士を鼓舞していた。ハラルド王が乗っていた馬は額に星の入った黒馬であった。
 一方、イングランド王ハロルドは騎兵隊と歩兵隊の混成強力イングランド軍を連れてそこにやって来た。そしてハロルド王はノルウェイ軍の陣形に目をやった。するとその時、こともあろうかノルウェイ王ハラルドが馬からぼてっとかっこわるく落馬してしまった。
「落馬は勝利へのしるしだー。」とハラルド王はその場を取り繕った。
「誰だ、あのどんくさい大男は。ほら、あの青いキルトを着たデカイやつだ。」とイングランド王ハロルドは味方の北欧出身者に訊ねた。
「ハラルド・ノルウェイ王その人でございます。」
「ほー。やつは体躯も立派で大戦士そうだが、やつの幸運は手から放れたようだな。」とハロルド・イングランド王は言った。
 20名のシングメン部隊の騎士がノルウェイ人の前にやって来た。彼らは皆チェーンメールを身につけていた。そして彼らの騎乗する馬もそうであった。
「トスティ卿はどこにおられるか。」とその内の1人が訊ねた。
「私はここだ。」とトスティ卿は答えた。
「卿の兄上のハロルド陛下は貴殿に歓迎の言葉と、平和、全ノーサンブリアの領土を認めると申し出ておられる。卿はこの申し出を断るよりはこの国の3分の1の領土を手に入れる方が得策と思われます。」
「ほー、これはこれは。昨年の冬の時とはえらい違いだな。あの当時、こうしてくれれば私はこの場にはいなかったものの。無駄な血も流されずに済んだのにな。では、イングランド王はここにおられるノルウェイ王ハラルド陛下には何をして下さると言っておられるのかな。」とトスティ卿が騎士に訊ねた。
「陛下はそれについても言及されておりました。ノルウェイ王ハラルドには7フィート、いえ、奴は一般の男より体躯が大きいためそれ以上の地面(墓穴)をくれてやってもよいと仰せです。」
「そちらの考えはよく判った。すぐに戻って軍隊と合流して陣形を整えるんだな。私はハラルド・ノルウェイ王を残してこの戦場から立ち去らぬわ。我らは誓った。栄光をもって死ぬか、このイングランドを手に入れるかだ。」とトスティ卿が叫んだ。
 そしてリーダー格の騎手が馬のくびすをくるっと返して来た方向に戻り、後のシングマン部隊もそれに続いたのである。
「誰だぁ。今のおじょーひんにお話をした男は。」とハラルド王がトスティ卿に訊ねた。
「ハロルド・ゴドウィンソン、その人です。」
「なんだとぉ。なんで黙っていたんだ。しかし奴等はもうここまで来たのかぁ。」
と呟いてしばらくしてハラルド王が続けた。
「やつは小柄な男だったが、鎧に身を固めて畏怖堂々としていた。」
そしてハラルド王はうっかりとイングランド王ハロルドを讃える詩を作詞して歌ってしまった。その内容というのは敵は鎧に身を固めているというのに、自軍は鎧を船に置いてきてしまったというものである。
「いかん、うっかりこんな詩を歌ってしまった。違う詩を歌うぞ。」
そういってハラルド王は違う詩を歌い、スカルドのティョゾールヴも詩を歌ったのであった。ハラルド王はいつもは「エマ」という名のチェーンメールを身につけていた。それは足の半分が隠れるほど長いもので、武器が噛みつくことがないほど名武具であったと言われている。
 戦の火蓋が切って落とされた。イングランド人はノルウェイ軍の盾の守りに突き進んだ。ノルウェイ軍から矢がどんどんと飛ばされ、そのために騎士は近づくことができなかった。騎士はやむなくその周りをぐるぐる回るに過ぎなかった。そしてイングランド軍の騎手が後退を始めたのである。そしてうっかりノルウェイ軍はハラルド王のいいつけを守らずに騎士が恐れをなして逃げたと勘違いをしてその後をうっかり追ってしまったのである。そして鉄の守りであった円陣の一画が崩れたのである。するとイングランド軍の騎手はそれを見逃さず陣形が崩れた部分に突撃をしてきたのであった。ハラルド王は衝突が起こり、最も激しく戦闘が起こった場所に突撃した。そして彼は戦いに熱くなり両手で敵を打ち倒し続けた。彼の攻撃には兜も鎧も用をなさなかったと言われている。ハラルド王のそばにいた敵は恐れをなして、イングランド兵は逃亡に転じかけていた。しかしその時、矢がハラルド王の方に向かって飛んできた。不幸にもそれはハラルド王の喉を突き刺した。これは致命的であった。彼は倒れ、それに続いた者も次々とそうなったのであった。しかし軍旗はしっかりと立てられ続けられた。トスティ卿は王の軍旗の下に急いで向かった。両軍は戦うよりは陣形を直す方に気が向けられた。そうして長い休戦があったのである。そしてこの時、ハロルド・イングランド王は弟のトスティ卿と残されたノルウェイ軍に和平を申し出た。しかしノルウェイ軍は助命よりは戦死を選ぶと叫び、戦の雄叫びを上げた。そして戦が再び始まったのであった。
 この時、船に残された「黒雷鳥の」エイステインが残された兵と共に合流した。彼らは皆、完全武装であった。それからエイステインは軍旗「国を荒らすもの」を手に取った。そして3度目の戦いが始まった。非常に激しい戦いであった。イングランド兵が次々と命を落とし、ほとんど志気を失いかけていた。これは「黒雷鳥(オッリ)の戦い」と言われている。しかしエイステインの家来達は全速力で船からこの戦地に来たため、彼らは戦う前から疲れていた。しかしそこは強靭なノルウェイ人、信じられない程に戦に陶酔して十分に戦っていた。そしてうっかりと追加のノルウェイ軍はチェーンメールを脱ぎ捨ててしまったため、イングランド軍に攻撃を容易にさせてしまったのである。こうして彼らは役に立つ前に次々と大地に倒れていったのであった。そして暗くなる前にこの戦いの勝敗は見えたのであった。
 ノルウェイ王ハラルドの元帥のスチュルカールは敗走した。彼は馬の轡を取り、それで逃げた。その夜、スチュルカールがシャツ以外身につけていなかったので、肌寒く感じた。彼はむき出しの剣を手にしていた。そしてそこへ農夫がやってきた。彼は農夫に上着を譲ってくれないかと訊ねたが、農夫は彼がノルウェイ人であることを理由に拒んだ。すると彼は農夫を殺害して農夫の毛皮が裏張りされた上着を取って逃げ去ったのであった。
 ルーアン公の私生児のウィリアムはエドワード懺悔王の死後、ハロルドが玉座を取ったことを知った。彼は自らの方がハロルドより正当な継承者であると考えた。そして娘との婚約不履行についてハロルドに屈辱を受けていたのであった。ウィリアムはノルマンディーで兵を集めた。出発の日、ウイリアムの妻が彼に話すために近づいた。そして彼は彼女が近づくと、妻をかかとで蹴った。するとそれが胸に深く突き刺さり、彼女はそれで落命したのであった。ウイリアムは船に乗り込んでイングランドに向かった。そして上陸し、襲撃してどんどんとイングランドを南部から征服していった。
 ハロルド・イングランド王はハラルド・ノルウェイ王の息子のオーラヴに助命を与え、国を立ち去る許しを与えた。そして同様に降伏したノルウェイ兵も同じように扱われた。ハロルド王はそれからウィリアム公が南から侵攻してきていると報告を受けた。彼はすぐさまそれを迎え打つために南下の処置を取った。ハロルド軍には兄弟のスヴェイン、ギュルズ、ワルセオフがいたと言われている。ハロルド王とウィリアム公はヘイスティング港の近くで会戦した。そこで激しい戦が行われた。ハロルド王はそこで戦死し、彼の兄弟のギュルズ公とその軍隊の大部分が同じ運命を辿ったのであった。それはハラルド・ノルウェイ王の死後19日目であったと言われている。ハロルド王の兄弟のワルセオフは戦場から逃げだし、その夜更けにウイリアム公の兵と出くわした。100人の兵はオークの森に逃げ込んだ。するとワルセオフ公は森に火をつけて、全ては焼け落ちたと言われている。
 ウィリアム公は自らイングランド王を名乗った。彼はワルセオフ公と和平のための会合をすると伝えた。そしてワルセオフ公が数名の家来を引き連れて会合の場所にやって来た時、彼はキャッスル・ブリッジの北部のヒースの荒野で捕らわれの身となり、首を落とされた。そして彼は後に聖人として崇拝されたのであった。
 そしてウィリアムは21年間、イングランドを統治した。彼は子孫はそれ以後、いつもイングランドの玉座についた。ウィリアムはノルマンディーの寝床で息を引き取ったと言われている。彼の後を息子のウィリアム・ルフスが次ぎ、彼は14年間、統治した。そしてその兄弟のヘンリーが王国を手にしたのであった。
 ハラルド王の息子のオーラヴは家来達と共にイングランドを後にした。彼らはラヴェンスプールから出帆し、オークニー諸島に到着し、そこで彼は義理の兄弟のマーリーアがハラルド王が落命したその日に突然に死んだという話を聞き知ったのであった。オーラヴはその冬はそこで滞在し、そして夏になるとノルウェイに向かった。そしてノルウェイに戻ると兄弟のマグヌスと共に王として選ばれた。エルリシヴ妃は継子のオーラヴと共に東方に向かい、彼女の娘のインゲゲルズもそうした。後の王の養父と呼ばれるようになるトスティ教の息子のスクリと彼の兄弟のケティルもその旅に従ったのであった。
 ケティルはしばらくして北のハロガランドに向かったと言われている。彼はオーラヴ王の良縁を取り持った。そして王の養父のスクリは賢く、名戦士で、とても容姿がよかった。彼はオーラヴ王の親衛隊長であった。彼は数々のシングで演説をし、王と共に国の法を制定した。オーラヴ王はスクリにノルウェイの州の借地権と税の権利を譲ると申し出たが、彼はそれに感謝したものの、王が交代した時に、その権利が奪われるかもしれないと考え、別の要求を申し出た。彼は王がユールの祭で滞在するであろう交易の町の近くの土地をいくつか所望した。王はこれを認め、彼はコヌンガヘッラ近郊の東、オスロ近郊、ツンスベルグ近郊、ボルグ近郊、ベルゲン近郊、ニザロス近郊の北の土地を彼に認めたと言われている。これらはそれぞれの場所の最高の土地であったと言われている。そしてそれらの土地はスクリの家系の者が代々所有することとなった。オーラヴ王はネヴステインの娘のグズルーンと結婚した。彼女の母は「雌豚の」シグルズ王のアースタとの間に生まれたインギリーズである。
 ハラルド王が亡くなってしばらく月日が流れた。そして王の亡骸がイングランドからニザロスに移された。そしてハラルド王は自ら建造した聖マリア教会に埋葬された。彼は策に長け、策を練るのに時間を要さず、素早く実行を移したと言われている。彼の賢さと忠言において他者を秀でていたと言われている。彼はサガに語られているように最も大胆で、大勝利者である。ハラルド王は容姿がよく、威厳のある風貌であった。彼は金髪で、長い口髭と金髪の髭をたくわえていた。彼の眉毛は片方がもう片方よりやや上に位置していた。彼の手足は長かったが、釣り合いが取れていた。彼の身長は2メートル30センチであったと言われている。彼は敵どもには厳しく、全ての抵抗を圧した。ハラルド王は権力を実に欲した。彼はお気に入りの者達には気前がよく、物惜しみがなかった。
 ハラルド王は50歳で戦死したと言われている。彼は義兄の聖オーラヴと共にスティクラスタジルの戦いに参加するまでは聖オーラヴ王とのエピソード以外には特に語られていない。彼はその後の35年間、激動の人生を歩んだ。彼は敵に背見せなかった。そして兵の数で劣っている時は策を講じてそれで切り抜けたのである。彼はいつも成功への策を講じていたのであった。
 そして後に「年老いた駱駝の」ブリニョールヴの息子のハルドールが聖オーラヴ王とハラルド王との違いをこんな風に言ったと言われている。
「わしは両者をよく知っている。彼らは秀でた男であった。彼らはとても賢明で、大胆で、富と権力に熱く、尊大で媚び諂ったりせず、罪には厳しく罰した。オーラヴ王はキリスト教と真の信仰のためにノルウェイの民に迫り、従わぬ者は厳しく罰した。そしてそれらの土地の首領達は正当で公正な裁きを受けることができなったために、彼らは王に対して刃を向けたのである。そして王の命を奪った。それゆえオーラヴ王は神聖化されたのである。一方、ハラルド王は名声と権力を手に入れるために力を振るった。彼は他の王達の領土を力づくで制した。そして逆らう部族を力で押し倒したのであった。彼らは両者とも品行の人生で、自らの名誉を心がけた。彼らは至る所を旅をした。全ての事において彼らは目立ち、名声を勝ち取ったのである。」
と彼はこんな風に両者を描写したと言われている。
 再びノルウェイの情勢に目を向けると、ハラルド王の息子のマグヌス王は父王の死後の最初の年にノルウェイを統治した。この後に彼は兄弟のオーラヴ王と共に2年間共同統治をした。それから彼らは共同王となり、マグヌスは北部を、オーラヴは東部を支配した。マグヌス王にはハーコンという息子がいた。ステイガル・ソーリが彼を育て、ハーコンは有望な青年であった。ハラルド王の死後、デーン王スヴェインはノルウェイとの和平は終結したと主張した。そして両王国で徴兵が行われ、ハラルドの息子達とスヴェイン王は互いに兵と船を集めて出撃したと言われている。そして両者の間を使者が行き交い、戦か調停かのどちらかをノルウェイ側は要求した。そしてこの会合で折り合いがつき、両国間に和平が付けられた。その同意はスヴェイン王の娘のインゲリッドとオーラヴが結婚するというものであった。そしてこの平和は長く続いた。このような平和はかつてノルウェイにはなかったと言われている。マグヌス王は白癬疫病で床に伏し、しばらく横になっていた。彼はニザロスで亡くなり、そこに埋葬だれたのであった。彼は民衆から愛された王であったと言われている。