Transliteration Side A : kurmR : kunukR : | : k[ar]þi : kubl : þusi : | : a(ft) : þurui : kunu Side B : : sina : tanmarkaR : but: 訳 ゴルム王はこれらの墓碑をデンマークのbod(優雅)の妻のチューラの思い出にたてた。 |
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Transliteration Side A : haraltr : kunukR : baþ : kaurua | kubl : þausi : aft : kurm faþur sin | auk aft | þurui : muþur : sina : sa | haraltr [:] ias : sR・uan・tanmaurK Side B : ala・auk・nuruiak Side C : ・auk・tani[・] (karþi) [・] kristn 訳 ハラルド王がゴルム、彼の父、の思い出に、そしてチューラ、彼の母、の思い出にこの記念碑を建立するように命じた。彼ハラルドは彼自身でデンマーク全土、そしてノルウェイを勝ち取り、デーン人らをキリスト教徒にした。 |
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特にヴァイキング時代のルーン石碑の役割に「宣言」というものがある。相続を正当なものにするために故人のために石碑を立て、立てた者(相続者)を誰かを知らしめるものとしてルーン石碑が使われるようになった。この石碑も「デンマークがハラルドによって統一されたこと」、「デンマークがキリスト教国」になったことを宣言するものである。デンマークの誕生を宣言するものである。 ハラルド青歯王がキリスト教に改宗した理由の話で有名なのは、教会からの使者ポポがヴァイキングの試練を受け、それを成し遂げたことで王が改宗したというものである。ヴァイキングの試練とは焼けた鉄を手に取り、火傷をしなければ正当であるとみなされるものである。 ハラルドが改宗した実際の理由は隣国ドイツの圧力であった。ドイツ皇帝オットーはダネビアケを欲し、実行しようとしていた。外交上の理由から改宗をし、それを宣言する必要があったのである。 |
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