オースフ・モースゴー博物館の石碑

泥炭人の展示で有名なオーフスの郊外にあるモースゴー博物館。こちらにもこの地方の石碑がいくつか展示されており、ルーン石碑唯一の解放された奴隷による石碑、スヴォルドの海戦を描写していると思われる石碑等が展示されています。

- HØRNING-ST -
Hjelmslev hd. Århus a.
DR58

Transliteration
tuki : smiþr : riþ : stin : ift | þurkisl : kuþmutaR : sun : is : hanum | kaf : kul : uk : frialsi


鍛冶屋のトーケはソルギスル、グズムンドの息子、彼に黄金(?)と自由を与えた、の思い出にこの石碑を建立した。


ルーン石碑唯一である開放奴隷による石碑の建立。

彼自身が解放されたこと、彼がこの一族の関係者であることをを宣言する石碑である。

十字架が描き出されているキリスト教徒による建立で、11世紀頃のものと思われる。主人であるソルギスルと建立者であるトーケはどちらもキリスト教徒であると理解されている。
160センチの大きさ。十字架の着色は最近のもの。
gull(OI)黄金をどう理解するかに問題があるようですが、奴隷を解放する時に与えたもの、彼が金職人であり、材料を主人が提供していたことを示唆するものかとの理解もあるようです。有力者の優秀な職人であったであろうとも推測されるようです。

ヴァイキングの社会学等々、様々な意味で興味深い石碑だと思います。

- ÅRHUS-ST1 -
Århus. Århus a.
DR63

石碑
.... R : þigsla : .... | .... n : þnsi : ix .... | .... R : muta : .... | .... s : uax[x][:} (x)u .... | .... t<ell. l> : hiþabu .... (?)

[....?] NN. セクスレ....この(石碑)....オームンデ....ヘデビー....(?)

現在はドイツであるシュレスヴィヒ近郊にあったヴァイキング時代の交易地であるヘデビーの名称の入った石碑。

- ÅRHUS-ST4 -
Århus. Århus a.
DR66

Transliteration
Side A : kunulfR auk augutr auk aslakR auk rulfR [] risþu

Side B : stin þansi eftiR x ful fel(k)a sin
角 : iaR uarþ [] ...... yxx x tuþr
Side C : þ kunukaR x | barþusk

グヌルヴとオーギョートとアスラクとロールヴはフル、彼らの同志、の思い出にこの石碑を建立した。彼は死に遭った・・・王達が戦った時に。

1000年ごろの石碑と思われる。この王らの戦いはデンマーク対スウェーデンの戦と思われ、スウェーデン・ヴェステルイェートランドのRåda石碑にもこの戦いが記されている。

Transliteration
+ þurkil sati + stin + þasi + itiR + kuna + sun ・sin + iR ・uarþ + i uristu + iR・bþiþus + kunukaR

Transcription
Þorkell satti stœin þannsi œftiR Gunna, sun sinn. Er varð dauðr i orrostu, eR barðus kunungaR.

ソルケルはグンネ、彼の息子、の思い出にこの石碑を置いた。彼は死と遭った王らが戦った時に。


ヴァイキング時代当時の「王」という単語の理解は、単に詩語的な「海の王」といったヴァイキングの首領を示す名称、そういった称号であると理解される。また言葉通りの厳密な王と理解するのであれば、どの戦かの特定は非常に困難であるのだが、1000年前後に起こった国際的な戦であるノルウェイ王のオーラヴ・トリュグヴァッソン王対デンマーク王のスヴェン二又髭王、スウェーデン王オーラヴの連合軍の戦である有名なスヴォルドの海戦(1000年(999年))との推測もある。

図柄のマスクであるが、これは当時のマスク信仰の示唆を推測するものもおり、これらの石碑に描かれたマスクを紙になり写してカッティングするとちょうどいい具合のマスクになり、当時の儀式で使われたものが描きだされていると推測する者(Asger Dragshoft)もいる。確かに多くの石碑のマスクの図柄はちょうど人の顔の大きさぐらいなのだが、この石碑はかなーり顔の大きい人用の巨顔マスクになる・・・。
時代的に改宗後の石碑であるが、恐らく古くからの異教の信仰が描写されていると見て間違いはなさそうである。畏怖と守護の意味があるのであろう。

- ÅRHUS-ST6 -
Århus. Århus a.
DR68

Transliteration
Side A : [x]usti x auk x hufi x auk x þiR x frebiurn x risþu x stin x þnsi x eftiR x | x sur x saksa x filaka x sin x harþa x
Side B : kuþan x trik x saR x tu x | x mana x mest x uniþikR x | saR x ati x skib x miþ x arn +

トステ(?)とホーヴはフロビョルンと共同でこの石碑をアッセレ・サクセ、彼らの同志、非常に高貴な「ドレング(勇敢な者)」、の思い出に建立した。彼は男らの中で最大の「卑怯者ではない」ものとして死んだ。彼はアルネと共に1隻の船を所有した。

ドレングとセグン(OI drengr、þegn)は何度となく石碑で見かける名誉な単語である。
セグンは恐らくベテランの戦士のランク、家臣の称号、役職であろうと思われる。
ドレングも王の家臣、恐らく王の軍事的な組織に結びつく語と思われ、称号、役職と思われ、相談役、指揮官といった職についた者達であろうと思われる。

- VEJLBY-ST. H.-
Hasle hd. Århus a.
DR69

Transliteration
þuþkil・risþi : stn þansi : uftiR : tufa : mak : sin


スズキルはチューエ、彼の仲間(婚姻によって親族になった者、妻)、の思い出にこの石碑を建立した。

11世紀。

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